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チップの思ひ出 [独り言]

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母親が死んで27才で完全な自由を手に入れた私は、「これから何をして人生楽しんでゆこうかな?」と考え、すぐに浮上したのが、当時 住んでいた街に在った憧れのカクテルラウンジでアルバイトすることだった。

その店は、オーセンティックなショットバーというにはだいぶ広めで、テーブル席も幾つもあり ピアノも置いてあり生演奏も出来る ホテルのラウンジ形式で経営する 主にカクテルを提供するかなり気取った店だった。

アルバイトは、シェイカーとミキシンググラスこそ触れさせてもらえなかったが、カクテルのレシピを覚えたり スピリッツやリキュールの味や歴史の説明が出来るように勉強したり ビルド物(グラスの中で作るカクテル)を作ったり カウンター越しに礼儀正しく接客したり、と 覚えねばならないことは山ほどあったが、私は自分が知りたかった世界だったので、楽しみながらも意欲的に仕事をしていた。

単価の高い店だったので、客層は50代以上が殆どだった。
中ーーー、珍しく 30代と40代の男性4人組の 友達であるらしいグループがいた。
彼らは特別 おぼっちゃまといった雰囲気でもなく 全員気さくで、月に一度くらいの割で ふんぱつしてちょっといい洋酒を堪能しに来るのが大の楽しみ、、、といった様子だった。

ある時、会計の了った4人に、赤いチェックのチョッキをキメた私は ドアの所で、「ありがとうございました。 またのお越しをお待ちしております」と 両手の指を腹に揃えて重ね 45度の会釈をした。
ーーーと、その中の一人の男性が、一万円札をピラッと私に差し出した。
この店ではチップをくれる客は少なくなかった。
従業員一人一人に三千円づつ配ったり マスターに一万円渡して「みんなで分けてね」と言ったり。
が、彼らがチップをくれたことはそれまでなかったので、「今日は羽振りがいいんだな」と思った。
そして、「え〜〜〜 こんなに頂けませぇ〜〜ん!」と嬉しさを隠せない口調で身体をくねらせ 掌を出した。
すると、4人の目は一瞬 点になり、万札を出した男性が大笑いしながら明るくこう発した。
「お前にやるなんて誰が言ったかよぉ! タクシー代にするから崩してくれって言おうとしたんだよ! ハハハ・・・・」
他の3人も大爆笑した。

いやはや、大笑いしてもらえて救われた。
あの時、しら〜〜〜っと冷めた空気になっていたら、私は凍りついて粉々に砕け散っていたこと必至だった。 
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カラオケの課題曲を増やしました [独り言]

下手の横好きでカラオケを二日に一度は歌いに通っている 私・ぼんぼち、過去記事にも書きましたように、元々 ブルースとブルースロックが好きで、憂歌団 上田正樹と有山淳司 ブルーハーツの楽曲ばかりを歌ってきました。
が、今年の初頭から 他のジャンルも歌えるようになりたいと、先ず ハードルの低い「みかん色の恋」(ずうとるび) 「NAINAI16」(しぶガキ隊) 「100%・・・SOかもね!」(しぶガキ隊)の三曲の練習を積み、何とか形がつくくらいに歌えるようになりました。

ということで、今度はもう少しだけハードルの高い 以下の十曲を稽古することに決めました。
「上を向いて歩こう」(RCサクセション)
「ファンキー モンキー ベイビー」(キャロル)
「ヘイ タクシー」(キャロル)
「ルイジアンナ」(キャロル)
「シンデレラ」(クールス)
「スモーキン ブギ」(ダウンタウンブギウギバンド)
「大阪で生まれた女」(萩原健一)
「恋のレッツダンス」(チェッカーズ)
「お前が嫌いだ」(チェッカーズ)
「渚のdance hall」(チェッカーズ)

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先ず、「上を向いて歩こう」は、日本のみならず海外でも「スキヤキソング」としてヒットした かの日本の戦後の国民的流行歌をキヨシローがロックバージョンでカバーしたもので、私は、キヨシローほどメロディーを変えて歌いませんが、ロックのココロで全身で以て声を飛ばして 詞の意味を訴えたいと思います。

「ファンキー モンキー ベイビー」から「スモーキン ブギ」までの五曲は、典型的なロックンロールです。
ツイストを踊る気分でノリノリで 聴く人が楽しくなるように歌えれば、、、と思います。
中でも「スモーキン ブギ」は、歌詞がとてもユニークで、他愛ない憎めない不良!といった感じが出せれば、、、と考えています。

次に「大阪で生まれた女」ですが、あえて元祖BOROバージョンではなくショーケンバージョンを選んだ理由は、こちらのほうがテムポがゆっくりで 感情を乗せやすいからです。
「♪電信柱に染み付いた夜」や「♪裸電球をつけたけどまた消して」などと、この楽曲は暗喩的表現がそこここに盛り込まれていて、詞の向こう側にある意味を理解できないと成立させられないので、向こう側の意味を頭に思い描きながら歌いたいです。
また、この詞全体から浮かび上がってくる主人公の女性像から 「♪あなた」ではなく「♪あんた」と歌ったほうが、より らしい世界観が表現できると判断したので、そう歌おうと思っています。

「恋のレッツダンス」は、アップテンポのダンスナンバー。
チェッカーズがアマチュア時代に作った楽曲「レッツ ザ ダンス」に詞だけを作詞家の先生が書き換えたもののようです。
「レッツ ザ ダンス」の詞は、様々なダンスを次々と踊り楽しむことがテーマになっていますが、こちらは恋の展開が中心になっています。
「レッツ ザ ダンス」もゴキゲンな歌詞なので、もしもそちらもカラオケに入っていたなら、歌い比べて感情の乗せ方の違いを楽しんでみたかったところです。

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「お前が嫌いだ」は、タイトルからして何とも面白いロックナンバー。
詞の内容は、本当は大好きで仕方がない女の子に ふにゃふにゃに骨抜きにされる 自称イケてる男の子の素直になれない感情を 逆説的にぶつけたもの。
曲中に三度出てくる「♪おーまーえーがー きーらーいーだっ!」を、嬉しそうに あかんべーしているようなつもりで歌い切りたいと考えています。
ちなみに作詞者は藤井フミヤさんで、フミヤさんの先鋭的な着眼点には脱帽です。

そして最後に「渚のdance hall」ですが、これは腹の底からたっぷりと声量を使って歌いあげるタイプのバラード曲です。
砂浜をステージに 降り注ぐ星星をミラーボールに見立て、別れのチークダンスを踊る二人、、、
ワンコーラス目に「♪どうして泣いてるの?ふられたのは僕さ」という詞が出てくるのですが、この一節には、「これほど男の優しさが凝縮された言葉は他にないぞ!」と ぐっと来ずにはおれませんでした。
よく役者が「あまりにも魅力ある台詞が一つあったために この役をやろうと決めた」と言いますが、この歌を歌い込もうと決めた私の心情も それに近いものがあると言えます。
この曲の作詞も、フミヤさんです。

と まあ、こんな理論・心構えで 以上十曲を、所詮は素人のお遊びレベルにすぎませんが、楽しみながらも一生懸命に 練習してゆくつもりです。
今年いっぱいには、この十曲が、なんとか人前でお披露目しても恥ずかしくない程度になれば、、、と思っています。
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S氏の災難 [独り言]

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これは、私の友人のS氏から聞いた、ある夜 突然 何の予告もなくふりかかってきた とんでもない災難の話である。

先ず、S氏はどういう人物かというとーーー
「東京に在る有名大学を三つ挙げてみて!」と問われたら、誰もが必ず 二つ目か三つ目のどちらかに名を挙げる大学の出身である。
趣味は、能楽鑑賞と茶道である。
つまり、インテリで品格のある人物なのである。

そんなS氏は日本酒が大好きで、三十代になったばかりのある夜も、いつものように仕事了りに都心で呑み、Ç線に乗り 郊外のM駅で下車し、自身の住むK市の住宅街を ゆらゆらと鼻歌混じりに気分良く 自宅に向かっていたという。
と!
突如 パトカーがS氏の脇にピタリと停まり、刑事らしき人が「おいっ!お前、来い!」と S氏の腕を掴み、有無言うすきを与えず S氏をパトカーに引っ張り入れたという。 パトカーには運転する警官と刑事の他に 若い女性が乗っていたという。

「えっ???何ですか?」
訳も解らず困惑するS氏の感情はまるでないがしろに、S氏を乗せたパトカーはK警察署に走り着き、S氏はがらんとした無機質な小部屋に連れ込まれたという。

小部屋の椅子に座らされますます困惑するS氏の前に先の刑事が現れ こうどなったという。
「お前!道を歩きながら さっきの女性の身体を触っただろ!」
まるで決めつけるが如くのどなりっぷりだったという。
S氏は、「とんでもない! 僕は、駅から家に帰るためにあの道を歩いていただけです!」と否定すると、「じゃあお前! 今日一日どういう行動をしていたか説明してみろ!」と みぢんもS氏の言葉を信用しない態度で迫ってきたという。
S氏は、「朝 起きて、〜して〜して、いつも通りに仕事をして、○時に仕事が了ったら〜して〜して、○時頃に○○に在る○○という店で日本酒を呑んで、○時くらいにÇ線に乗ってM駅で降りて、家に帰ろうと、○通りを通って〜を曲がって〜を曲がってあの道を歩いていました」と答えると、その刑事は小部屋を出て行ったという。
するや入れ違いに 別の刑事が入って来て、「お前!今日一日の行動を説明してみろ!」
全く同じ台詞をどなったという。
辟易しながらも、S氏は、全く同じ答えを繰り返したそうだ。
するとその刑事も去り、入れ替わり立ち替わり、幾人もの刑事が同じように 今日一日の行動を 高圧的に説明させたのだという。

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十回以上説明させられたところでーーー
突然、「帰っていい」ーーー釈放されたという。
何でも、パトカーに同乗し 被害現場付近を刑事と共に犯人探しをしていた女性が、S氏を発見するや、「この人です!この人に間違いありません!」と言い切ったのだという。
そして、釈放された理由は、真犯人が見つかったからだという。

S氏は、「何度も同じ説明をさせられたのは、違った事を話したら嘘を吐いているっていう裏付けになるからだよ」と言っていた。
K警察署は、S氏を家まで送り届けてくれなかったどころか、一言の謝罪の言葉もなかったという。
S氏は白々と夜の明けかかったK市の住宅街を、酔いも覚め果て ぐったりと疲れ果て、トボトボと一人自宅に帰ったそうだ。

それから何ヶ月か経った頃ーーー
同居するS氏のお父様は、風景や花の写真を撮るのが趣味で、カメラを首から下げ 近所の花を撮り歩いていたところ、巡回していたK警察署のパトカーに引っ張り込まれそうになったそうである。
お父様はK警察署まで連れて行かれずにこそ済んだそうだが、「今、部屋の中の女性を盗撮してただろ!」と やはり決めつけの態度で凄まれたそうである。

K市は、住宅街とちょっとした商店街だけで構成されている平和な街である。
K警察署はよっぽど暇であるらしく、何とかして犯罪者をひねり出したくてしかたがないらしい。
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手に汗にぎる話 [独り言]

みなさんは汗っかきですか?
私ぼんぼちは、掌にだけ尋常ならざる量の汗をかきます。
真冬、寒い寒いと感じていて特別何かを長時間にぎったりしていなくても、二時間くらいすると掌だけがベッタリとしてきます。
ましてや、スマホ操作や書き物をしていると、ーーーつまり、四本の指を軽くほぼ丸めていると、みるみる掌が霧を吹いたが如くにキラキラしてきます。

だからといって生活に困るほどのことはなく、スマホのスイッチやパソコンのマウスを触る時は、服でよく掌を拭ってからにするように気をつけている程度です。

そんな私ですから、手荒れというものを今までの人生で一度も経験したことがなく、手荒れがする 手が乾燥する 手がカサカサになる という感覚がまるで解りません。
バッグの中に小さなハンドクリームを入れていて しばしば揉み手をするように塗り込んでいる女の人を見ると、「長い髪をアンニュイにかきあげるのと同じに ファッション的アクションとしてやっているのだろう」と思い込んでいたほどです。

が、手荒れをする人は本当にそれで悩んでおられるのだと、最近、観念としてですが理解しました。
まあ、それも私の手汗と同じく生まれ持つた体質だと思うので、手荒れ体質のかた、ご自身に合った良いクリームと仲良くお付き合い出来ることを陰ながら祈ってます。

私は毎日、のんびりのほほんと 手に汗にぎる生活を続けてゆきます。

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タグ:手汗 掌に汗
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美術科予備校・講習会に来たヌードモデルさんの思ひ出 [独り言]

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私は美術高校の一年二年の時、美術の勉強を学校の授業以外にも学びたくて学びたくて、某美術科の予備校の講習会に、美大を目指す浪人生や他の美術高校の生徒とともに、春休み 夏休み 冬休み と通っていた。

ある 夏休みの講習の日-----
その日は、丸一日かけて 木炭デッサンを一枚仕上げる という課題だった。
モチーフは、女性ヌードである。
二十人ほどの受講生は私も含め、「どんなモデルさんが来てくれるのかな? ルンルン!」と 気分が高揚し、油絵具と木炭とパンの入り混じった匂いの立ちこめる画室の空気は浮き立っていた。

美術の基礎を学ぶにあたっての「良いモデルさん」というのは、決して グラビアモデルやファッションモデルのように 美人でナイスボディである必要はない。
それよりも、先ず第一に、「中肉中背で均整がとれていること」、顔も、「大き過ぎず小さ過ぎず 玉子型であること」が好もしいのだ。
何故なら、基礎勉強では、人間の身体のつくり プロポーションの平均値を頭に叩き込まなければならないので、たとえ多くの人が美しいと感じる容姿であっても、どこかが極端に○○な人 というのは適さないのである。
第二に好もしいのは、ポージングの上手いモデルさんである。
何故、着衣ではなくヌードを基礎勉強として描くかというと、皮膚の下に脂肪があり 脂肪の下に筋肉があり 筋肉の下に骨がある-----という そこまでの構造を、見抜き 熟知し易い状態にするためである。
そのためには、手を頭や腰に置いたり 身体をひねったり 片足に重心をおいてもう片足を流したりしてくれると、筋肉の収縮や骨の曲がりが出来、とても良い学びになるのである。

私達受講生は、ルンルンしながら、モデル台の前に各々イーゼルを立て カルトンを置き 木炭の芯を抜いたりして 授業の準備を整えていた。
ルンルンの空気は、授業開始時刻が近付くにつれ 高まっていっていた。

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-----と、
画室に、明らかに受講生ではないと判る 四十代くらいの女性が入ってきた。
百キロくらいありそうな肉付きだった。
「・・・・・・・えっ!? まっ・・・・まさか!?」
私達約二十人は、嫌な予感が当たらぬことを願った。
しかし・・・・・・・・・
その女性は、ついたての向うに歩いてゆき、ほどなく 全裸で現れ、モデル台の上に立った。
そして、タイマーを自分でセットし、両手を後ろにまわし 足を肩幅に広げ、仁王立ちになった。
でろんと垂れ下がった大きすぎる乳房 五百円玉より遥かに大きい乳輪 三段どころか五段の腹 えくぼだらけの丸太さながらの脚・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ルンルンの空気は、みるみる画室の床を這うが如くに どよ~~んと鈍く重たくなった。

「みんな!おはよう! もうモデルさん いらして・・・・・・」
三十代半ばの男性講師が片手を挙げ画室に入るや、動きと言葉が止まった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私達受講生は、心の中で揃って、「でしょーーーーー」と 眉をハの字にして口をとがらせた。
「・・・・・・・・・・・・んーーーー、モデルさん・・・・・・えっと・・・・・ポーズをね、・・・・・ちょっと こう・・・・・手を頭に乗せるとか、片足だけに重心をおくとか、身体をひねるとか、・・・・・・そういうの、何かやってもらえませんか?」
講師がやや遠慮がちに指示すると、モデルさんは間髪置かずに「できませんっ」と返した。 「これしかできませんっ」 と。
講師は「はぁ~」と ため息をつき、受講生一同を 申し訳なさそうな目で見やった。
私達は、床を這う空気感で 木炭紙にあたりをつける作業に取り掛かった。
画室は私達が半袖の服を着ていても汗ばばないくらいの室温だったが、モデルさんは、全身に滝のように汗をかき始めた。 はあはあという苦しそうな息使いとともに。
汗は垂れ流れ、陰毛をつたってポタポタと落ち、股の間に直径十五センチくらいの汗だまりができた。
ジリリリリリリッッッッッ!!!
タイマーが鳴り、休憩時間となった。

すると、モデルさんは講師に小声で何やら話かけ、ついたての向うに隠れたかと思いきや、服を着て画室から出て行った。
「・・・・・・・・・・・・あのーー、みなさん、モデルさんは この部屋の匂いで気持ちが悪くなられたそうで、帰られました。・・・・・・・・・・・・・・・・んーーー、今日の授業、どうしようか・・・・・・・んーーー、仕方ないから、みんなで交代でモデルになって 一分間クロッキーをしようか。・・・・・・・じゃ、この椅子をモデル台に乗せるから、先ず キミから座って」 
と、一人一分間づつモデルになり、それを何回転もして、その日一日の勉強を了えたのだった。

私が講習会に何度も通った中で、一番 印象強かった思ひ出である。

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風紀委員長をやっていた時の話 [独り言]

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私は高校時代、立候補して風紀委員長をやっていた。
私が通っていた高校での風紀委員の役割りというのは、制服を校則通りに着ているか(学校指定の仕立て屋で仕立てた制服を 自分好みに改造してはいないか、ブレザーのボタンを全部キッチリ留めているか、ネクタイを緩みなく締めているか、校章を正しい位置につけているか) 派手なヘアスタイルをしていないか、化粧やマニキュアをしていないか、を月に一度 校門に立ちチェックすることと、今後の身なりについて 検討・改革してゆくことだった。

私は、仕立て屋で仕立てたままだと 寸胴でバランスが悪く太って見える制服は、身体にフィットさせて 特にウエスト部分を絞ってスタイルが良く見える様に改造し、隙間なく真っ赤にニキビが出来 ブルドッグさながらにぶよぶよに太った顔は、少しでも綺麗に細く小さく見える様に ファンデーションをべったりと塗り 側面にシャドウを入れ、髪は頬をおおい隠し くるんくるんにパーマをかけ腰までのばし、小学生の時に「おばあさんの手みたい」とからかわれたどす黒い指には、血色が良く見えるように淡いピンク色のマニキュアを塗っていた。

そんな私が何故、風紀委員のしかも長に自らすすんでなったかというと----
校則にある身なりの規定は、勉学にいそしむ為に何の意味もなさない無駄なもの----どころか逆に、活き活きと心地良く勉学に邁進する為の意欲をそぐ 負の縛り以外の何物でもないと思わずにおれなかったので、風紀の顧問の教師に抗議をして なくしてしまおうと考えたのだ。
私が通っていたのは美術高校だった。 美術高校の学生は美術を学ぶ為に学校生活を送っているのだから、その背中を押せぬ、逆に足かせにしかならぬ校則など 廃止するべきだ----と。、
現に私は、制服を改造したり そういった化粧やヘアスタイルにすることで、コンプレックスを少しだけれど軽減させられ、美術の勉強に強く打ちこむ事が出来、美術の成績は学年でトップだった。

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よく、「~らしさが大事」と したり顔で語る人がいる。 高校生は高校生らしい服装や髪形をしなさい。 化粧やマニキュアなんてとんでもない、と。
しかし、ぱっと見が高校生らしいことって、そんなに重要なことなのだろうか?
重要なのは、高校生活で何をやっているかではないだろうか?
ぱっと見が重要だという人がいたら、どういう理由で仰るのだろうか?
説得力のある理由を教えていただきたいものである。
「高校生らしさ」以前に「その人らしさ」の方が、一億倍大事なのではないだろうか?
何故なら人間は誰しも、「自分」という存在があり それが成り立って、初めてその土台の上に高校生なり何なり、何らかの立場でいられるのだから。
自分という存在をつぶされてしまったら、高校生でいられないどころか、精神的に人間として生きることが出来なくなってしまうのではないか。

私は風紀委員長になるや、即刻 これらの内容を、風紀の顧問の教師に切々と訴えた。
けれど、顧問の教師は、「・・・・・・そうよねぇ・・・・・・・その通りよねぇ・・・・・・・」と 頷きながら困った顔でうつむくばかりだった。
----風紀顧問の教師はまだ若い女教師で、校則を変えられる権限を持っていなかったのである。
私は、校長に直訴しようとは考えなかった。
その女教師の言葉や表情から、それは一縷の望みもないほどに無力な行いであると悟ったからだ。

後日----
クラスの担任の中年男性教師が、私にこう吐いた。
「ぼんぼちぃー、ぼんぼちの化粧や髪形や制服改造は、職員会議でも問題になってるぞー!」
注意されたところで、私は自分のスタイルを変えようとはみぢんも思わなかった。 変えてしまうと、私が私でいることが根底から崩れてしまうからだった。
美術でトップの成績を維持できなくなるどころか、登校することすら不可能になってしまうと自分でよく解かっていた。
一体全体何故、アニメや流行歌に夢中になって たいして美術の勉強もしなく成績の良くない生徒が、身なりの校則を守っていれば何のおとがめも受けずに、醜い容姿を少しでも美しく健康的に見せる工夫をして、コンプレックス軽減でアイデンティティを確立し、他の生徒の何倍も努力をして美術の成績でトップを取っていた私が叩かれなければならなかったのか----身なりの校則の重要性が、今以ってサッパリ解からない。
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マジメと不良 [独り言]

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ある時 同世代の女性と話をしていて、ちょっとした流れから、「私は中学生の時、学校帰りにほぼ毎日 喫茶店に寄ってましたよ」と言った。
するとその女性は、「えーーっ! 不良ーーっ! 怖ーーい!」と おびえた表情でいっぱいになり 如何にも恐ろしいものから遠ざかる様なアクションをした。
私は当時も今も、一体全体何故、中学生が学校帰りに喫茶店に寄ることが不良行為なのか サッパリ解からない。
入ったところで、タバコをふかすわけでも ビールやジンフィズを飲るわけでもなく、ただおとなしく、コーヒーやクリームソーダを飲んだり カレーやナポリタンを頬張ったり パフェやサンデーにスプーンをのばしたりして くつろいで帰路につくだけなのに・・・・・・・と。

また別の日、やはり同世代の男性と話をしていたら、「・・・・・で、ぼんぼちさんは、中学生の時は何回くらい補導されたことがあるの? 警棒で叩かれるのって痛いよねー! 少年院には入ったことある?」と 当たり前!といった様子で聞かれた。
私が、「えぇっ! そんなこと一度もないですよっ!」と 眉を険しくして驚くと、「へぇぇー、マジメだったんだねー。 そんなマジメやってて、中学生活 楽しかった?」と さも珍しいものを見る様な目をされた。 

多くの人は自分が基準で、世の中の多数の人間は 自分と似たり寄ったりの学生生活を送ってきたと、無意識のうちに思い込んでいるのだろう。 私もその一人かも知れない。
ちなみに私は自分のことを、マジメでも不良でもなかったと自覚している。
私の定義する「マジメ」は、学生の本分である勉学に勤しむ為にに何ら関係のない 何の意味のない校則を、何一つ疑問を抱かずにキッチリ守る生徒で、「不良」は、万引きや恐喝 傷害など、世間様に迷惑をかける 法律に触れることをやらかす生徒である。
そして、マジメな生徒も不良の生徒も、学校毎に非常にムラはあるものの、統計を取ったら どちらもごくごく一握りで、多くの生徒は、かつての私の様に マジメでも不良でもなかったのではなかろうかと 思っている。
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中野桜まつりと鮎の塩焼き [独り言]

四月某日、澄み渡った青空となったので、最寄りの駅から四駅離れた中野の街に、一人 ぶらりと桜を観に出掛けた。
中野は、アーケードや飲み屋で賑わう一角の西側に、北へ延々と伸びる桜並木の通りがあり、途中、新井薬師公園という 地元の人がちょっと集まる桜の公園もあるのだ。

私は、桜並木を見上げつつそぞろ歩き、新井薬師公園へ入った。 公園には「桜まつり」と横幕が掲げられ 園内には屋台がずらりと並んでいた。
----おや! 鮎の塩焼きの屋台も出ているではないか!
私は鮎の塩焼きには目がなく、居酒屋やこういった屋台で鮎の塩焼きを見つけると、必ず求め 頬張っているのだ。
屋台では、たいてい五百円である。
が、ここのは七百円と書いてある。
----七百円かぁ、高いなぁ・・・・・・高いから今回はやめようかなぁ・・・・・・・・・・しかも、屋台のおじさんは、口をへの字に曲げてむっつりと目を閉じ 椅子にふんそり返ってて なんだか怖そうだし・・・・・・・

中野桜まつり.JPG串にうねり泳ぐ形で刺さった鮎達を横目にゆき過ぎ、屋台の列が途切れた辺りで足を止めた。
----やっぱり食べたい!!
私は鮎屋の屋台へと戻った。

鮎屋のおじさんはスマホを耳に当て、酷く不機嫌そうに何やら話をしていた。
私が鮎屋に正面向いて立つと、おじさんは人差し指を立て「一?」と示した。
私も人差し指で「一」と応えた。
おじさんは不機嫌そうに話を続けながら、スマホを持っていないほうの手で 鮎の一匹を炭の上の網に乗せ 私が差し出した千円を受け取り 三百円を私の掌に乗せた。

おじさんはスマホを置いた。
と、先までとは別人の如く満面の笑みとなり、「今日は花見に来たの?」「どこから来たの?」「あー、あっちのほうなら井の頭公園が近いよねー」などと、鮎を丁寧に何度も裏返しながら話かけてきた。
私も笑顔で話に応じた。
「くれぐれも食べる時、やけどしないでねー! 気をつけてねー!」
串の端の部分をティッシュで丹念に包んで 絶妙に焦げ目のついた鮎を「ハイッ!」と手渡してくれた。

私は公園内で座って食べられる場所を探した。
ベンチもあったが、園内にはお年寄りがたくさんいたので、背もたれのあるベンチはお年寄りのために空けておこう と、花壇の縁のコンクリートの上に腰掛けた。

私が鮎をかじっていると、私の両側に 園内をぶらぶら歩いていたお年寄りが、一人・・・また一人と座り、花壇の縁はお年寄り達でびっしりになった。
首からネームプレートを下げた介護師さんらしき中年の男性に押された車椅子のお年寄りも、わらわらと花壇の縁付近に集まってきた。
お年寄りは全部で二十人くらいいた。
私はいつの間にやら、お年寄り達の輪の中にぽつねんと居る形となった。
「○○さんーん! 写真、撮ってもらいましたかー!」
「△△さんも、写真、撮ってもらいましたかー!」
「これで、全員 撮りましたねー!」
介護師さんは、お年寄り達に声を飛ばした。
「では みなさんに、これからおしぼりとお茶を配りまーす!」
私より左側の端に腰掛けているお年寄りから順に、「はい!××さん、おしぼり!」「はい!◎◎さん、おしぼり!」、私を抜かして「はい!◇◇さん、おしぼり!」・・・・・・
紙おしぼりがお年寄り全員に配られ渡ると、今度は、紙コップに注がれた緑茶が用意された。
「はい!××さん、お茶!」「はい!◎◎さん、お茶!」、私を抜かして「はい!◇◇さん、お茶!」・・・・・・
ベンチは空いたままだったのでベンチに移動しようか・・・・・とも考えたが、今 移動すると、いかにもお年寄り達が来たことが迷惑だと思っていると受け取られても悪いな と思ったので、そのままコンクリートに座って 鮎をかじり続けていた。

「それ、おいくらでしたか?」
私の右隣に腰掛けていた 上下青のジャージの痩せこけたおじいさんが、私の鮎を指差した。
「七百円です」
中野桜まつり1.JPG「そりゃあ高い! ワタシにはとても買えない! とてもとても」
顔の前で 縦にした掌を左右に振り 笑った。
「あらぁ! お魚も売ってるのぉ?!」
そのまた右隣の、くしゃっと寸の詰まった しわくちゃの顔のおばあさんが、ひょいと顔を出した。
「鮎ですよ、そこで売ってますよ」
屋台のほうを指した。
「あらぁ~ そう! 美味しそうだこと!」
ますます顔をくしゃっとさせた。
「鮎、売ってるのね」
今度は左から声が聞こえた。
薄紫色のスプリングコートをまとい 白髪をポニーテールにした 若い頃はさぞかし美人だったろうと思われるおばあさんだった。
「アタシはね、相模川から四里の所に昔 住んでましてね、その頃 相模川では鮎がよく釣れたのよ。 釣り人が季節になるとたくさん来て、ここまで(腰の辺りに手をやり)水に浸かって釣ってたの。 でもね、アタシ達 地元の者は、鮎が減っちゃうといけないからっていうんで、他所から来る釣り人にゆずってあげて釣らなかったのよ・・・・・・」
私は、柔らかな陽を浴びながら 情景を思い浮かべた。

鮎を食べ了え、新井薬師公園を出、再び桜の通りを北へ歩いた。
今日の七百円の鮎は、七百円の値打ちがあったな・・・・・と思いつつ・・・・・・・


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虐待する親の心理 [独り言]

ここのところ一記事おきに 私や弟が虐待された過去を綴ってきましたが、今回は、「何故、母親は 自分の産んだ子供でありながらも虐待していたのか」を、虐待された側から 少し客観的に 分析・考察しようと思います。
----なお、これは私の母親一人を 観察・分析した末の私なりの答えであり、多数の統計をとった結果ではありません。
けれど、私のこの考察が、「一体 何故?」と首を傾げているかたや 行政の虐待防止対策担当のかたの参考に少しでもなれば・・・・・と思います。

何故、実の子を虐待するのか----?
端的に一言で言い切ると、「常軌を逸してエゴイズムが強いから」 です。
常軌を逸してエゴイズムの強い人間というのは、まともに考えると200%本人が悪いに決まっていることを、呆れ返るようなおかしな理屈をつけて、周囲の人間が悪くてその為に自分がこうなった、自分は被害者だ、と考えます。
例えば----
盗み癖の治せない人は、「充分な給料をくれない会社が悪いから 自分が盗みをしなければならない心に追い込まれた」とか 「盗まれても仕方のないような陳列をしていて 盗みをしたくなるような気持ちをあおりたてた店が悪い」などと。

実子を虐待する母親の心理構造も同じです。
「産みたくもないのに勝手に産まれてきやがった。(本当は、恋人でもなかった父と だらしのない快楽の末の妊娠をきっかけに 父を一人占めする手段として勝手に一人で産んだ) この子が産まれた為に 自分はそれまでのように遊びまわれなくなり 女としての肉体の魅力も激減してしまった。 だから、こんな状態にした子供が悪い。 この子が加害者で自分は被害者だ。 よって、被害者は加害者を苦しめる必要がある。 自分にこんなに苦しい思いをさせておいて 加害者が幸せになるなんて許せない。 被害者は加害者を 売ろうが殺そうが自由な権利がある」 という理屈です。
つまり、自分が産んだからこそ よけいに憎いのです。

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常識のある人が聞くと、「何おかしな理屈こねてるんだ?」と 開いた口がふさがらない理不尽な理屈ですが、言っている本人は いたって真剣なのです。 世間や法律のほうが間違っていると言い張りゆずらないのです。
----そう、常軌を逸してエゴイズムの強い人間というのは、精神が「まともな大人」ではないのです。
本来なら、社会の中に野放しにされていてはいけないのです。

かりに、やらかすことが先に挙げた「盗み」のような類のものであれば、すぐに社会から隔離された環境におかれます。
しかし、実子の虐待というのは、家庭という閉ざされた空間の中で行われ、みなさんもご存じの通り、親の子に対する虐待が表面化してきたのは ほんのごく最近のことで、私(1962年生まれ)の子供の頃は「スパルタ教育」という隠れ蓑の元に やりたい放題でした。

子供の側も、中学生くらいになれば疑問を感じてきますが、小学生くらいまでのまだ小さい頃は、世の中を俯瞰などできる筈もなく、「自分の家庭が当たり前で親の発言が正しい」と 刷り込まれてしまうのです。
虐待されずに育ったみなさんの中にも、小学生くらいまでは、親が、「ウチは普通だ」と言っていた為に、「何もかも自分の家庭が普通だ」 と思っていたかた、少なくないのではないでしょうか?

それと同じように、虐待されている子供も、「親の言っている・やっていることが正しくて 悪いのは自分だ」と思ってしまうのです。
だから、どれほど辛くとも 殺されかけようとも、親戚や児童相談所に逃げ込もう という発想はつゆ起こらないのです。
そういった理由もあり、常軌を逸したエゴイズムの強い人間のやらかすことが実子の虐待である場合は、今でも表面化しずらいのです。

この時点で 多くのみなさんは、「なんでまた常軌を逸したエゴイズムの強い人間というのが出現してしまうのだろう? そういう人間は、どういう生まれ育ちをしたのだろう?」と 不思議に思われているのではないかと察します。
----あくまで、私の母親の場合ですが・・・・
母親は、7人だか8人兄弟の末っ子で、何でも特別扱いで わがままし放題に甘やかされて育ったそうです。
それで、幼児の状態で精神の成長が止まり、そのまま年だけ取ってしまったものと思われます。

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通常は成長をしてゆく過程で、自分が我慢しなければならない忍耐力や 相手を思いやる感情を学習し、社会に適応してゆきます。
しかし、常軌を逸してエゴイズムの強い人間というのは、精神レベルが幼児のままですから、周囲の都合や気持ちなど何一つとして考えずに、幼児さながらに 泣きわめいたり癇癪を起したりし、最も身近にいる弱者(子供)を サンドバックがわりに殴りつけ 負のエネルギーを発散させます。
まるで幼児と同じで、自己抑制がきかなくなってしまうのです。

あまりの大きな負のエネルギーの為に、手指の関節は硬直して曲らなくなり 膝もつっぱって曲がらなくなり  目は釣り上り充血し 奇声を発し 自分の気持ちがスッキリするまで---およそ2時間くらい---子供を殴り続けます。
そして知能は低いわけではないので、自分を都合よく正当化する理由づけが、思考回路の中でできあがってしまうのです。
だから、「産みたくもないのに云々・・・・」というおかしな理屈は、本人は気づいていないけれど、後付けの理屈なのです。
末っ子でわがまま放題に育てられた人が全員 こういう人間になるとは限らないのでしょうけれど、私の解かる範囲で 母親に関して思い当たる理由はこんなところです。

常軌を逸してエゴイズムの強い人間は、つまりは自分が幼児で自分の面倒すら見られないのですから、子供の面倒を見られるわけがありません。
そういう人間に対しては いくら「子供さんを可愛がってあげましょう!」「子供を虐待してはいけません!」などと声掛けしたところで 焼け石に水なのです。
子供と引き離して生活させるのが 最良の手段なのです。

以上、「何故、母親は実子を虐待するのか」を 私の母親のケースで分析・考察しましたが、質問・疑問をお持ちのかたいらっしゃいましたら、お答えできる限りお答えします。
この記事が、世の中から 虐待される子供が一人でも減るきっかけの一つになってくれたら幸いです。
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母親が弟を見殺しにしようとした一件 [独り言]

私が18才の時、父と母は離婚し、父は複数人囲っていた愛人さんの一人を本妻にした。
母が言うには、以降 父からは一銭も金をもらわないから という理由で、私に 画家をやって月々100万稼いで生活費として入れろ!と要求をしてきた。 それが当たり前の親孝行だ----と。
虐待されて育った私は疑問を感じながらも、とても月100万は稼げなかったが、画家になり 眠る時間も食べる時間も削って 母に渡せるかぎり金を渡し続けていた。

ところが、私が26才になった時、母は父から サラリーマンの人が稼ぐくらいの金額のお金を月々送ってもらっていたことが判明した。 のみならず、父は私にもまとまったお金をくれており、それを母は私に秘密でがめていたことも判った。
それで私は、自分がやっていることがあまりにも馬鹿馬鹿しいとハッキリと認識し、画家の仕事を大幅に減らし、稼いだ金は、その間行きたくてもがまんして行かなかった 原宿やライヴハウスやカフェバーに行き 遊び使うことにした。
もうこれからは、母親に殴られたら殴り返してやろう! 金をうばわれたらうばい返してやろう! 父が私にくれた金も全額取り戻してやろう!  そして、画家の仕事にキリがついたところで画家を辞め、家を出て一人でアパート住まいをしよう! と決意した。

すると母は、私を隣町のソープに、「18才過ぎた娘がいるから買い取ってくれ」と交渉に行ったらしいが、そんな阿呆な交渉はソープの店員が相手にする筈もなく、家に帰ってさんざん癇癪を起し、今度は「月々100万稼いでアタシを左団扇させろ! それが当たり前の親孝行だ!」の矛先を 私の4才年下の弟に向けた。

弟はその時、大学生だった。
行きたくて行きたくて二浪までしてやっと入った 語学の大学だった。
弟は私のようには虐待されずに育ったからか 母親のことが大好きで、小さい頃からいつも必死に 母親のご機嫌取りをしていたので、月々100万稼いで母に渡す ということに挑戦し、なんと!それをやってのけたのだった。
塾の講師と道路工事とホストのバイトを掛け持ちでやって。
大学のほうは、授業に出る時間も授業料を払う余裕もなくなり 辞めてしまった。
毎日 朝早く家を出、夜更けに帰ったり あるいは一晩中帰らないこともしばしばになり、私は全く弟の顔を見なくなった。
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そんなさなか----
私は画家を辞めるタイミングが掴めたので辞め、父からの金の一部を元手に アパートで一人住まいを始めた。
それを知った父は、私に月々 生活費を送ってくれることになった。
母は、父が直接 私の口座に振り込むのを許さず、一旦 母に送り、自分が私のアパートに現金で持って行く と言い張りゆずらないので そうすることとなった。
再び私に対し なんだかんだ言いたい為にその方法をとったのは見え見えだった。

月々、母は、父からの金を持って 私の住むアパートにやってきた。
予想外に おとなしく金を渡し おとなしく帰って行った。
それが何カ月かくり返されたある月、やってきた母はこう言った。
「おめぇ、しばらくアタシをここに泊めておくれよ。 ○○(弟の名)は、バイトも全部やめちまって 金も入れなくなって、体重が38キロになっちまったんだよ。(身長は176センチもある) 家から出られる体力もなくなっちまったんだよ。 それでアタシに三度三度 手料理を作れって言うようになっちまったんだよ。 アタシの手料理じゃないと食わないんだよ。 作らないでいると、アタシを殴ったり包丁向けて脅して『作れ!』って言うんだよ。 アタシゃ 料理なんか作るの嫌なんだよ。あの子の面倒見るのなんか嫌なんだよ。 よぅ、おめぇ、何週間か ここに泊めておくれよ。 そしたらあの子はそのまま飢え死にするから。 現金も貯金通帳も全部持ってきてて 家には一銭も置かないで来たんだから」
それまで 私には向けたことのない猫撫で声を出した。
弟はどうやら、張りつめていた糸が プツン!と切れてしまったらしかった。
心身共に限界に達し、心の奥底にあった願望が噴出したらしかった。

母は、私達一家が福岡に住んでいた頃は、近所に レストランも食堂もファーストフード店もなく 私も小さかったので、嫌々ながらも家で母が作るしかなく 作っていた。
しかし、国立に越してきてからは、レストランも蕎麦屋も中華屋もマックもケンタも弁当屋もあったので、全くと言っていいほど 料理を作らなくなった。
家で作る時は、母の命令で小学生の私が作ったり、家族各々が 紀ノ国屋のステーキを焼くくらいだった。
私は福岡の記憶は充分にあり、母の作る料理がどれほどいいかげんで手抜きで不味いか解かっていたので もう母の手料理はこりごりだと思っていたが、弟は幼すぎて福岡の記憶が殆どなく、つまり 母の手料理の味を知らずに育ったので それを強く欲したらしかった。

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私が思わず、「飢え死にさせるなんて ○○(弟の名)がかわいそうだ!!」と叫ぶと、母は 事もなげにこう吐いた。
「何言ってるんだい!アタシが産んだんだよ。 アタシが産んだんだから 売ろうが殺そうが自由じゃないか!」
私は この人間と 理論的会話が通じないことは火を見るより明らかだと思い知っていたので、とにかく部屋には入れずに金だけふんだくり、「帰れ!」と 怒鳴った。
「帰れ!」「泊めてくれよぅ」「帰れ!」「泊めてくれよぅ」「帰れ!」「泊めてくれよぅ」・・・・・・
長い押し問答の末、ようやっと母は、トボトボと帰って行った。

アパートへはもう金を持って来なくなるだろう・・・・と思っていたら、翌月 来た。 その翌月も、そのまた翌月も。
おとなしく金を手渡し おとなしく帰って行った。
が、母の顔は一ト月毎に 不健康にやつれ 痩せていっていた。
どうやら、弟に殴られ包丁を突き付けられ、嫌々仕方なく 大嫌いな料理作りをしているようだった。

それからほどなくして----
「母、くも膜下出血でキトク」という知らせが入った。
そして脳死状態を経て、ちょうど一ト月後に心臓死に至った。 52才だった。
弟は痩せこけてフラフラではあったが、外出できるくらいには体力は回復していた。
母の死を看取るや、弟はどこかへ消えてしまい、通夜にも葬式にも現れなかった。

葬式が済んで何日か後----
弟は浮浪者のようなボロボロのなりで帰ってきた。
4度 自殺を試みたが死にきれなかった、と言った。
病院の先生が、くも膜下出血の原因はストレスも大きいって説明していたから、ママが死んだのは僕のせいに違いない。 だから 僕も生きてるわけにはいかないと思った----と。

それから----
長い長い時間をかけて、弟は、心と身体の健康を取り戻していった。

今回の記事、大変 長くなってしまいましたが、読んでくださりありがとうございます。 
読んでくださったみなさま、心より感謝します。

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