So-net無料ブログ作成
検索選択

映画「映像の発見---松本俊夫の時代」 [感想文]

5月1日2日、シアターイメージフォーラムにて、「映像の発見---松本俊夫の時代 第1部・記録映画篇 第2部・拡張映画篇 第3部・劇映画篇 第4部・実験映画篇」が、監督のトークショー付きで上映された。
記録映画・実験映画・拡張映画・劇映画と あらゆるジャンルで日本の映像界のトップを担ってきた映像作家・松本俊夫氏の軌跡を、松本氏ご本人や関わりの深かった人物へのインタビューと松本作品本編の引用で構成したドキュメンタリーで、539分に渡る壮大な作品である。 監督は筒井武文氏。 2015年製作。
当初は追悼特集として企画されたわけではなかったが、奇しくも公開2週間前に松本氏は亡くなってしまったので、結果的に追悼上映となった。
なお、当作品は全部で5部構成なのであるが、第5部は、1部から4部を松本氏に観せ それについて松本氏が語る形をとっているので、1~4部を鑑賞した観客に日をおいてから観てほしい という筒井監督のご意思で上映されなかった。

松本俊夫.jpg

作品の出来としては、可もあり不可もあり といったところだった。
先ず、可は----
一人の人物を扱ったドキュメンタリーにありがちな必要以上の神格化・偶像化がされていなかったことである。
松本氏が余りにもテレビ向けとはいえない芸術性の高い難解な記録テレビ映画を創った事諸々をきっかけに 三年半もの間 映像界から干され、道路工事や家庭教師など 映像とは全く関係のない仕事で食いつないでいた話、作品創りを巡っての意見の相違の末 氏が怒りのあまりスタッフの一人の首を絞めた話などが、カットされずにそのまま淡々と語られていた事である。
実に爽快である。
又、作品を通して 日本の映像界がどのような変遷をたどってきたかも詳らかに解かり、松本氏に興味のある人以外にも 日本映像史の勉強となるつくりとなっていたところも良かった。

そして不可は----
インタビュアーである筒井監督の声が小さすぎて、松本氏が何について 頷いたり首を傾げたり答えたりしているのかがとても解かり辛かったことである。
声を大きく出来なかったのならスーパーインポーズを入れれば良いのに と思った。
これはトークショー後の質疑応答の時間に全く同じ意見をぶつけていた観客が複数いたので、やはり私だけが感じた問題ではなかった様である。

松本俊夫.jpg
主観的な感想としては----
「1990年代以降は殆ど作品を創られていないが それは何故か?」という問いに対して、「大病をし、その後は体力が衰え 創作エネルギーも乏しくなってしまった。 エネルギーがない中で駄作を創るくらいなら創らないほうが良い」と答えられていて、私は如何にも妥協を許さない松本氏らしい英断だなと 好感を持った。
世の中には、一旦名が出ると どれほどの駄作であっても垂れ流すように創り続け、そうして創られた駄作をも称賛する盲目的ファンが少なくないが、私はそういった構図はいかがなものかと思うのだ。

又、第2部の拡張映画篇では、氏の拡張映画の代表作である「つぶれかかった右眼のために」の部分がインタビューの合間合間に繰り返し挿入され 面白い構成と成っていたが、「つぶれかかった---」のラストショットの後も第2部本編は続いていたので すっきりしなかった。
「つぶれかかった---」のラストを2部本編のラストにもってくればまとまりが良かったのに と思った。

が、全体的にはこの映画は創られて良かったと思える作品だった。
作品の解説のみならず、それまで知り得なかった松本氏の人柄や感情を充分に知ることが出来たのであるから。
そしてつくづく、松本俊夫氏ほど、幅広いジャンルに挑戦し クオリティの高い作品を生み出してきた映像作家は他にいないと 改めて思い知らされた。
日本に、松本俊夫という存在がなかったら、現在の日本の映像界はなかったと断言できる。
松本俊夫氏がこの世に誕生した事は、日本映像界の大きな幸だった。

松本俊夫.jpg

nice!(291)  コメント(32)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

映像作家・松本俊夫先生逝去 [感想文]

松本俊夫2.JPG

映像作家の松本俊夫先生が、先日の4月12日に亡くなられた。 85才だった。
松本先生は、「薔薇の葬列」 「ドグラ・マグラ」 「つぶれかかった右眼のために」 「アートマン」等、従来の映画の枠組みにとらわれない革新的な前衛映画を幾多生みだされた 我が国を代表する映像作家であった。

私は松本先生の作品を知る以前は、「自分は映画というジャンルにおおいに興味があるのだが、納得のいく作品に出逢ったためしがない。 今まで観てきた作品のようなものばかりが映画の全てである筈はない!」と 日々疑問符を抱えていた。
それが30代半ばの時、「ドグラ・マグラ」に遭遇したことで 一気に疑問は氷解し、私は松本俊夫先生の虜になった。
そして松本先生の作品を片っ端から観、著書はすべて読了した。
講義も二度ほど受けるチャンスに恵まれた。
先生のお言葉を一言一句聴きのがすまいと、ペンを片手に集中した 貴重で有意義で至福の時間であった。

松本先生の存在がなかったら、私は映画ファンにはなっていなかった と断言できる。
松本俊夫という帰る場所があったから、他の作家・監督の作品にも越境して享しむことができたのである。

今、私の内は空虚さでいっぱいである。
まるで 何も映し出されていないスクリーンの客席にぽつんと独り座しているような・・・・。
もぅ 私には映画ファンでいる意味がなくなってしまった。
生きる気力もなくなってしまった。
松本俊夫2.JPG

nice!(311)  コメント(41)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

日本実験映画の開花 [感想文]

東京大学総合研究博物館インターメディアテクにて 日本実験映画の開花と題された上映会が催されたので、実験映画好きの私は一も二もなく出向く。
上映された作品は、かつてベルギーの実験映画祭にて発表されたもので、今年 日本とベルギーは友好150周年を記念する という理由から、この催しがなされる運びとなったのだそうである。

上映された作品は、「日本の文様」吉田直哉1961年 「戦争ごっこ」ドナルド・リチー1962年 「砂」高林陽一1963年 「ONAN」飯村隆彦1963年 「喰べた人」藤野一友+大林宣彦1963年 である。

「日本の文様」は、ありとあらゆる日本の古典柄を材に 日本にどれほど意匠を凝らした遊び心溢れる図案があるのかを、寄りや引きやパンや回転を用い映像に仕立てて紹介した作品。
「戦争ごっこ」は、海辺で少年達が山羊を殺し墓を作る様を 詩的でありながらも淡々と描写した寓話。
「砂」は、砂浜にて ダイヤローグなくすれ違う男女のやるせない感情が表現された 抽象作品。
「ONAN」は、性欲をうっ屈させる若い男が突然大きな卵を産む 奇妙な物語。
「喰べた人」は、レストランでものを食う人達とウェイトレスの妄想を コマ抜きや逆廻し等の技法で以って グロテスクかつユーモラスに描いた喜劇。
である。

内、私が殊に感嘆したのは、「日本の文様」である。
動かぬものを元にキャメラの工夫でこれだけ変化をつけて 完成度の高い映像を生み出せる技は 天晴れだと思った。
その変化のみせ方は実に多彩で、これこそ実験映画の醍醐味ではないだろうか と唸らずにはおれず、松本俊夫の「石の詩」にも通ずる感覚と技術を感じた。

以前 研究所で実験映画理論を学んだ時に テキストとして扱われ既に観ていた作品も二作ばかりあったが、改めて 実験映画の面白さ・表現の自由さ・創り手のエネルギーの強さに圧倒されないわけにはゆかなかった。
実験映画というジャンルに惚れ直さずにはおれない 有意義な上映会であった。

実験映画.JPG


nice!(327)  コメント(32)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

ぼんぼち選・青春映画10作品 [感想文]

青春1.jpg

先日、雑誌映画芸術」のバックナンバーを捲っていたら、「私の選ぶ青春映画10作品」というような内容の企画がなされており、読むうち私も、自分にとっての青春映画なるものを挙げずにはおれない気分にかられた。
よって今回は、私・ぼんぼちの選ぶ青春映画10作品を 一言コメント付きで紹介したいと思う。
尚これらは、映画界で「青春映画」「青春モノ」とカテゴライズされているものではなく、あくまで私が主観的に「あぁ!青春だなぁ」と感じた作品である。


「書を捨てよ町へ出よう」 寺山修司

青春映画といえば、一も二もなくこの作品を挙げないわけにはゆかない 寺山初期映画代表作。
寺山の分身ともとれる少年が スクリーンの中から観客に呼び掛けるメタシアター的ショットはあまりにも有名。
言いたい事を全てぎゅぎゅっと詰め込んだ感のある 濃密な作品である。


「鉄男」 塚本晋也

作品の奥底をとぐろを巻きつつどろどろと流れる爆発的感情、これぞ青春以外の何物であろうか!
多用されるアニメーションに注がれるエネルギーは、塚本氏の青春の爆発か!


「肉片の恋」 ヤン・シュヴァンクマイエル

生の二片の肉片が、アニメーション技法により、絡み合い ダンスを踊り あっけない最期をとげる。
青春とは、かくも生々しく刹那的なもの。


「台風クラブ」 相米慎二

一般的にも誰れもが認める青春映画。
テーマが奥底の深い部分に埋め込まれた表現は秀逸。
理論的に頭のいい監督でないと創ることのできない作風である。


「東京フィスト」 塚本晋也

初期塚本作品は、私にとって王道の青春映画である。
東京に生まれ育った若者にとって 東京のビル群は身体の一部。
そのビル群ごと 疾走し 叫び 壊れるのだ。


「孔雀」 クリストファー・ドイル

説明不可能な焦燥 倦怠・・・・・青春期というものは、日々こんな感情にたゆたっているものではないだろうか。
監督ドイル氏は、元々キャメラマンなだけあり、映像の完成度の高さには溜息の連続!


「青春の殺人者」 長谷川和彦

回想シーンの折りこまれ方のあまりの絶妙さに唸らずにおれない。
究極の家庭崩壊の象徴として、母親が息子に肉体関係を迫るとは、よく練り込まれた脚本である。
ゴジ第一回監督作品としても有名な作品。


「青春の蹉跌」 神代辰巳

石川達三の同名小説の映画化。
ラストが大きく変えられているが、こちら映画版も堂々見事に成立している。
自身に貫通するテーマを込めたゴジの脚本に拍手!


「電車男」 村上正典

商業映画中の商業映画という理由で敬遠している映画ファンは少なくないかも知れないが、活動屋の魂のこもった 非の打ちどころのない大傑作である。
隙間なくきっちりと完成されたパズルのような仕上がりが気持ちいい。


「アイデン&ティティ」 田口トモロヲ

万人が認めるいかにも青春映画!といった作品。
しかしながら鼻白まない観映感を迎えられるのは、押し過ぎず引き過ぎずの田口監督の力量に他ならない。
主役に、役者ではなくミュージシャン峯田和伸を配したところも その要因であろう。


以上が、私・ぼんぼちが選んだ青春映画10作品である。
皆さんにとっての青春映画は、どのような作品であろうか?

青春2.jpg
 
タグ:青春映画
nice!(315)  コメント(51)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

映画「他人の顔」---すべてに於いてバランスの取れた最高傑作 [感想文]

「他人の顔」----
「おとし穴」「砂の女」に続き、安部公房の同名小説を 安部氏自身が脚本化し、勅使河原宏の手により監督された長編劇映画作品である。 1966年製作。

他人の顔3.JPG

シノプシスは、仕事中の事故で顔全体を酷いケロイドに火傷してしまった男が、精神科医に事故前とは別の新たな顔を作ってもらい 火傷後自分を拒絶した妻を誘惑する というもので、自己と他者 自己と社会の関係、己れが己れであることを証明するものはいったい何なのか が、安部氏ならではの理論的論法によって 緻密に深くえぐり出される。
これが、仲代達矢 京マチ子 平幹二朗 岸田今日子 岡田英次 等々、日本を代表する名優という舟によって多方向から追及されるのである。
のみならず、この作品を語る上で決して欠くことのできないのは、美術 音楽 キャメラの秀逸さである。
前衛的な病院内の装置 主人公の男の心情を裏打ちする悲しげなワルツのテーマ曲 ハイコントラストの白黒でのワンショットワンショット構図の完成されたキャメラ使い・・・・。

----映画に於いて、ひいてはすべてのジャンルに於いての「作品」というもののクオリティ・出来を決定づけるのは、「バランスが取れているか否か」と言っても過言ではない。
そのくらい「バランス」は、作品創りに於いて重要な力点である。
ある部分は優れていてもバランスが取れていないがために秀作とは言えなくなってしまっている残念な映画というものが 世の中には非常に多い。
リアリズムの方向性でありながら 一人大仰な型芝居をする役者がいたり、アート系の作品なのに キャメラが具象的説明に終始してしまっていたり、乾いたマチエールで創られているのに音楽だけが妙に湿っていたり・・・・。
しかし、この「他人の顔」は、すべてのスタッフ・キャストがこの映画がどういった色合いで以って どういう方向に突き進むのかを 根本からしっかりと把握している。
哲学的テーマを非リアリズムによって重々しく理論的に創るのだ と、携わるブレーン全員が正確に理解している。
他人の顔3.JPG

又、私は、この映画の脚本---決定稿---を所有していて しばしば本編DVDと照らし合わせながら読むのだが、照らし合わせることによって 如何に 決定稿から本編完成まで 練りに練られ 肉付けされ 無駄を落され 順序が入れ替えられ 濃密度の作品へと結実していったかが解る。
中でも殊に大きく変えられているのは、主人公の男が観た映画という設定で 主軸のストーリーに度々折り込まれる形で挿入されている もう一つの物語である。
決定稿では、戦争で顔半分がケロイドとなってしまった元美女が、強姦すらされなくなったと思い込み 医者に口づけを求め受け入れてもらった末に自死する とあるが、本編では、ケロイドの元美女は 実兄に関係を迫り結ばれた末に自死する となっている。
がぜん、本編のほうがいい。
このほうが、「顔が変わってしまうと 人間関係というものが根底からくつがえってしまう」と、作品テーマをぐぐっと強烈に後押しすることになるからだ。

「他人の顔」----
映画好きのかたと安部公房ファンは既にご覧になっていることと思うが、とりたてて映画に興味を持たれていないかたや 哲学書や心理学の専門書などを愛読されているかたにも 是非とも観ていただきたい、「映画ってこんなにも面白く 深い表現が可能だったのか!」と 映画という表現ジャンルを見直すこと必至の 日本劇映画史に輝き続ける大傑作である。

他人の顔3.JPG

※3月4日のオフ会、どんなご趣味のかたも大歓迎でやすよん!
nice!(316)  コメント(44)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

2016ぼんぼち劇場観賞映画感想 [感想文]

2016年、私・ぼんぼちが劇場に観に出向いた映画作品は以下である。

ユーリー・ノルシュテイン特集上映「アニメーションの神様、その素晴らしき世界」(6作品)
松本俊夫著作集成全四巻刊行記念特集上映(36作品)
DEFA70周年記念 知られざる東ドイツ映画「DEFAアニメーション選集」(9作品)
新宿泥棒日記
ドグラ・マグラ
みかんの丘
冬よ さようなら
金のがちょう
今夜は踊ろう
不良少女ヨーコ
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS AWEEK Toring Years
完全な遊戯
喜劇・新宿広場
闇金ウシジマくん Part3
闇金ウシジマくん ザ・ファイナル
さとにきたらええやん
何者
イエスタディ
少女椿
映画3.JPG

内、最も印象深く有意義な観映だったのは、何といっても 我が国を代表する実験映像作家・松本俊夫先生の「著作集成全四巻刊行記念特集」である。
実験作品 短編ドキュメンタリー 広報映画等が 一週間に渡り36作品公開された大特集である。
私はすでに観ていた作品が大部分で復習的観映となったが、改めて松本先生の理論と感覚の緻密さと斬新な発想に敬服しないわけにはゆかなかった。

二番目に有意義だったのは、これも松本俊夫先生の劇映画「ドグラ・マグラ」が再映されたことである。
この作品は、DVDでは勘定不可能なほど反芻している 私が全ての映画の中で一番好きな映画なのであるが、これまで運悪く 劇場観映の機会を逃し続けており、今回初めて 大スクリーンで目のあたりにすることとなった。
単に大スクリーンの迫力に圧倒されたのみならず、登場人物の頬を流れた涙の跡や完全な無音の瞬間を作る計算など 自室の再生装置では気付けなかった細部を発見でき、作品の完成度の高さにより深く感動した。
浮き立つ気持ちを抑えきれずに 二週間の上映期間中三度も足を運んでしまった。

三番目は、「DEFA70周年記念 知られざる東ドイツ映画」の中の一つのプログラムとして上映された「DEFAアニメーション選集」の9作品である。
中でも ヒトラーをモチーフとした白黒のカットアウトアニメーション「こんにちはHさん」と ブラシや布切れや割れた陶器等を素材としたパペットアニメーション「伝説の鳥トゥリパンを探しに」が 非常に美術的に優れていて 観ていて理屈抜きに心地良かった。

アニメーションといえば、「ユーリー・ノルシュテイン特集『アニメーションの神様、その素晴らしき世界』」の6作品も、至福の境地にいざなってくれた。
私は6作品とも過去に観ていたのだが、こういったクオリティの高いアートアニメーションは何遍体験してもよいもので、代表作中の代表作「霧の中のハリネズミ」の他には「キツネとウサギ」が特に秀逸だと思った。
一般的には「霧の中---」と並んで「話の話」が高く評価されているが、私は「キツネ---」のほうを高評したい。
カットアウトアニメーションならではの単純さを巧く活かしていて 背景は昔の絵本さながらの図案的画で、観る者の内側に世界を広げてくれるからである。
いかにも北国ロシアといった彩度の抑えられた色調に酔いしれると同時に、アートアニメーションは断然 具象的表現ではないほうが面白いと痛感した。

映画1.JPG
新作の劇映画では----
戦場を舞台としたグルジアの作品「みかんの丘」には涙してしまった。
単に戦争の悲惨さを描いただけではなく、そこに個人対個人の関係が 東欧の人間特有の内向的感情表現によって複雑に織りなされていたからである。

山田孝之さんの大ファンであるという理由からシートに座った「闇金ウシジマくん ザ・ファイナル」での山田さんの演技も心に残っている。
山田さん演ずるウシジマ社長が殺されそうになるショットの山田さんの表情には つくづくスタニスラフスキーシステムを十二分に身に付けておられる名優中の名優であることを再認識させられた。
又、ウシジマ社長の中学生時代を演じていた若手の役者さんが、山田さんのウシジマを非常によく観察し ウシジマの中学時代はこうだったに違いない!と思わせる しゃべりかた・動きをしていて見事だった。 拍手を送りたい。

特筆に値する作品はこの様なところだろうか。
観たことを激しく後悔した作品も二作あったが、概ね今年は私にとって 収穫大きな劇場観映といえるものであった。
来年も様々なジャンル・国の映画を楽しみたいと思う次第である。

映画2.JPG

タグ:映画
nice!(390)  コメント(67)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

謳い文句からズレた映画 [感想文]

先日、「60年代に、ビートルズに憧れた少年達がバンドを始める青春映画」と謳われている映画を観に行った。
ポスターも、モッズスーツでかためた四人の少年がジャンプする いかにも60S!な匂いに溢れている。
60年代音楽の大好きな私は、期待に胸を高鳴らせ 劇場のシートに掛けた。
しかし----
少年達がビートルズのレコードを聴いたり楽曲をコピーするシーンはほんの少ししかなく、おおかたは 四人の中の一人の少年の恋愛物語だった。
ずれた映画1.jpg私はひどく落胆してしまった。

これでは、あんぱんと表示されているパンを買ったら あんこはほんのちょっとしか入ってなくて クリームがたっぷり出てきた、というようなものである。
あんぱんを求める客は、一口齧ったらあんこ 二口めにもあんこ 食べても食べてもあんこがぎっしりー!を望んでいるのである。
いくら不味くはなくともクリームなんぞが出てきたら、「私が買ったのはあんぱんであってクリームパンじゃない。 表示に偽りありぢゃないか!?」と 不満でいっぱいになってしまう。

ずれた映画2.jpgこの様な 謳い文句からズレた映画は、私が今回観てしまった作品のみならず、商業映画に於いて時々見受けられる。
猫が途中からほとんど出て来なくなる猫映画、美しい裸体の女性がわずかにしか登場しないお色気映画、主役が冒頭とラストくらいにしか活躍しない○○さん主演!と大々的に宣伝された映画、等々々・・・・。
謳い文句に添った内容の映画を作るべし!というのは、映像学校の一年の一学期で教わる 映画作りの基礎中の基礎である。
それなのに何故、このような映画を作ってしまうのか・・・・???
これは決して、商業映画に携わっているブレーン一同が映画作りの基礎を解かっていない、という事ではないと思う。
商業映画ならではの、諸々の いたしかたのない「大人の事情」によるものに違いないのである。
舞台裏では、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ばざるを得なかった 辛く苦しい負の選択があったと 十二分に察する。
十二分に察しはしても、こちらは貴重な時間を使い金を払っている客である。
作り手とは対峙する関係であり、同方向を向き着いて行く関係ではない。
だから、この様な映画に遭遇してしまうと、つい 「商業映画って こういうところが嫌だよね」と 毒づいてしまう。


タグ:映画
nice!(326)  コメント(44)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

奥山眞佐子さんの「一葉忌朗読ライブ」を聴きに行く [感想文]

11月23日、ちょっとしたご縁があって、奥山眞佐子さんの朗読ライブを聴きに行った。
奥山眞佐子さんは、金子信雄さん 山田五十鈴さんらに師事され、近年ではNHKテレビドラマ「花子とアン」の山梨ことば指導を担われた ベテランの女優さんである。
今回の朗読ライブの演目は、ライブ当日が120回目の命日であることから 樋口一葉の代表作である「たけくらべ」。
奥山さんは、三越劇場での「樋口一葉ひとり芝居」などを通じて 樋口一葉作品の普及に努めているかたでもあるのだ。

とうへんぼく3.JPG会場は、高円寺の中でも極めて高円寺的な居酒屋「唐変木」。
柱時計が幾多かけられ 昔の学校の机と椅子が並ぶ焦茶色の店内の中、はしばみ色の着物姿の奥山さんの朗読がスタートした。
原文の語りに奥山さんご自身が解説を加えた構成で、アルトリコーダー&ピアニカの男性のかたが音の効果を盛りたてる。
目の前に情景がありありと現れるような真に迫る朗読で、殊に台詞の部分は 登場人物に入りこんで発しておられて、「さすが役者さんだなぁ!」と惚れ惚れと聴き入らずにはおれなかった。
又、アルトリコーダーの音は尺八に近いので、作品の時代にぴったりとマッチしているなぁと感じた。

----朗読は、アナウンサー出身のかたと役者出身のかたで 大きく読み方が違ってくる。
前者は、元の文を書いた作者が何を書いたかに忠実に 客観的に一歩も二歩も引いた読み方をする。
台詞部分は、前後の地の文で説明をしているのだから感情を入れると意味が重複する という理由から 極力抑えて発する。
したがって、イメージが観客にゆだねられ、観客一人一人の脳内に世界が浮かぶ。
対して 今回の奥山さんのような後者は、モチーフとしている作品から 演者が何を感じとったか どこを強調したいか、とにかく演者が前面に出る。
とうへんぼく2.JPG台詞も芝居の台詞のように 感情を入れる。
よって 観客は、目の前に立つ演者のかたの周囲に情景をイメージしたり 演者のかたが登場人物に見えてきたり と、共通認識の多い世界を受動する。
勿論これは、どちらが正しい読み方でどちらが間違った読み方という事ではなく、考え方の違いであり、観客側も、どちらが嗜好に合うか という問題だと思う。
私はどちらの読み方も好きで、同じ作品を聴き比べる事に面白味を覚えている。

ライブ終了後----
酒を交しながら 奥山さんから、ことば指導というお仕事が 精神的にも肉体的にもいかに過酷であるか、樋口一葉にどれほど思い入れがあるか など、貴重なお話をたくさん聞かせていただけた。
非常に楽しく同時に勉強にもなった 有意義な一夜であった。 

とうへんぼく1.JPG

タグ:奥山眞佐子
nice!(327)  コメント(62)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

映画「紳士は金髪がお好き」 [感想文]

「紳士は金髪がお好き」
言わずと知れたマリリン・モンローの代表作の一つである。
監督はハワード・ホークス。 1953年製作。
モンローらしさが完成された時期の 若々しく愛らしいお色気に溢れた作品であり、モンロー主演作品中 最もクオリティの高い作品でもある。

内容は----
モンロー演じる歌姫と彼女の相棒歌姫 モンローの婚約者である億万長者 彼の雇った探偵を軸に展開するミュージカルコメディである。
息を飲むほど見事な歌と踊りが、モンローと相棒役のジェーンラッセルの美しさを好対照に引き立て合いながら、テムポよく ハッピーエンドのラストまでぐいぐいと引き寄せてやまない。

中、この作品に殊にエネルギーが注がれているのが「衣裳」である。
二人の歌姫が、次から次へと 実に彼女達の個性にぴったりの斬新なデザインドレスに身を包み 登場するのである。 ファッションショーさながらに。
最初から衣裳に並々ならぬ大きな予算が分け与えられているのが 如実に判る。
極めて優秀なデザイナーが抜擢され、布地やアクセサリー一つに至るまで手抜かりなく、完璧とも言える仕事をしている。

この作品を観ようという観客は、言わずもがなリアリズムなど求めてはおらず、きらびやかで非現実的な いわばショーに酔いしれたいが為に シートに座る。
そういった観客の気持ちをしっかりと把握し、何一つとして裏切ることなくフィルムに収めきった、ミュージカル大国のミュージカル黄金時代の 非の打ちどころのない大傑作である。

紳士は金髪がお好き.JPG


nice!(326)  コメント(67)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

ドキュメンタリー映画というもの  [感想文]

ドキュメンタリー映画は、虚構ではない。
しかし、客観的事実の叙述であるかというと、それも又 違うのである。

ドキュメンタリー映画とは、監督が意図をもって、あらかじめテーマを決め、あるいは 取材段階や集められたフィルムを基にテーマをあぶり出し、劇映画同様 そのテーマに向かって突き進むものなのである。

例えば----
あるバンドのドキュメンタリー映画を作ると仮定する。
テーマは、「主人公のバンドが如何に優れたバンドで人気者だったか」とする。
実際は、その時代に同ジャンルのバンドが雨後の筍の如く多数出現し その中での秀でたバンドだったとしても、音楽シーン全体や他のバンドについては一切触れずに製作されたら、その音楽ジャンルも人気も 主ドキュメンタリー1.jpg人公バンド唯一のものであるように見える。
又、実情としては 複数の複雑な理由がからみあってドロドロと解散に向かったとしても、複数の要因のうちの最も無難なものを一つだけ取り上げたら、矢張り、それが唯一の理由で穏やかに解散したのだと受け取れる。

これがドキュメンタリー映画というものの構造なのである。
誤解のないように記すが、私は決して、ドキュメンタリー映画を 揶揄している訳でも否定している訳でも低レベルのものだと嘲笑している訳でも ない。
これが、ドキュメンタリー映画というものなのだ と言っているのである。

ドキュメンタリー.jpg劇映画は、劇映画のお約束事を理解した上でスクリーンに向かう。
今時、劇映画の中で人が殺されたのを観て、本当に殺されたのだと解釈して驚愕する人はいない。
誰もが皆、「劇映画というものは虚構である」という大前提を解った上で シートにかけているのである。
しかし、何故だか、ドキュメンタリー映画に関しては、前述の構造を理解していない人が少なくないように思う。
客観的事実なのだと 白紙に絵具が染まるように 受け入れてしまう人が多いように思う。
劇映画中の殺人は虚構であるという認識同様、ドキュメンタリー映画も 監督が一つのテーマを言はむとする為に 数有る事実の中から取捨選択して上手に編集されたものであるという認識の上に、観客側がスクリーンに向かわねばならないのだ。

尤も----
報道映画も記録映画も、ひいては新聞やネットの情報も、歴然とした客観的事実など 伝えてはいないのであるが。 それを伝えることなど不可能なのであるが。


nice!(318)  コメント(51)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画