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ピアスホールを開けた理由 [独り言]

私は、計八個のピアスホールを開けている。
左の耳たぶに三個、右の耳たぶに三個と上方の軟骨部分に一個、左小鼻の上の部分に一個 である。
十八才の時、三十五才の時、四十才の時と おいおいに開けてきた。

何故ピアスホールを開けたのか----
勿論、ピアスは見た目がお洒落だという単純な理由もある。
けれど、最も大きな理由は----
自分の欠落感を埋めるためだったのである。
私にとって、ピアスホールを開けていない自分は「素の自分」ではなく「欠落した自分」であり、今のように開けた自分が「素の自分」なのである。
何年にも渡り逡巡しながら「まだ違う」「まだ違う」とホールを足し続け 現状態になった時、「これでやっと素の自分になれた」と思った。
だから、ピアスと皮膚の接点に触れ 金属と肉体の一体感を確認していると、「ピアスを含めた私が私なのだ」と 非常に落ち着き安堵感に浸ることができる。

塚本晋也の初期作品に「東京フィスト」という長編劇映画がある。
その中で、精神的に今までの自分ではいられなくなったヒロインがざくざくとピアスを開ける件りがあるのだが、私にはあのヒロインの感情が痛いほど理解できる。

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※3月4日のオフ会、まだまだご参加受け付けてやすよん!

「独白」と「傍白」の違い [独り言]

戯曲や脚本を読んでいると、ト書きに「独白」「傍白」という言葉が時折り登場します。
みなさんは、この「独白」と「傍白」の違いをご存じでしょぅか?
両者は、作家がなんとなく語調で書き分けているのではなく 明確に意味の違う言葉なのです。
今日は、「独白」と「傍白」の違いについて説明したいと思います。

独白と傍白2.JPG

先ず、「独白」というのは字の如く 独り台詞です。
私達が現実の生活でもしばしばつぶやいている いわゆるヒトリゴトです。
具体的な例を挙げると----
○寮
AとB、それぞれのベットに寝転んでいる。
A「あ~ぁ、給料日まであと1000円しかねぇや。 これじゃあ三日間カップ麺しか食えねぇなぁ」
と独白。
B「えっ? 今、なんか言った?」
又は
B「・・・・・・・・・・・・(俺の知ったこっちゃない。 無視無視)」
又は
B「そんなのお前が計画的に使わないのが悪いんじゃん。」
等。
この様に、聞こえているであろう距離に誰かが居る場合、まるで聞いていなかったり 聞いていないフリをしたり 自分に向かって放たれた台詞ではないと解っていながら何か答えたり と様々ですが、「独白」は、現実世界と同じように聞こえています。

対して「傍白」は、「劇中の相手には聞こえていなくて観客には聞こえている小さなつぶやき」です。
○寮
A「ねぇ、Bくん。 給料日まであと1000円しかないんだよ、3000円ばかり貸してくれないかなぁ」
B「勿論だよ! Aくんになら貸してあげるよ! キミとボクの仲じゃないか!(以下、傍白)バーカ! お前が計画的に使わないのが悪いんだよ。 あー、やだやだ」
A「やっぱり、お前っていいヤツだな。はははは・・・・」
B「ははは・・・・」
等。

劇中で、傍白が傍白である事を表わす王道の方法として、台詞を発している人物が傍白の部分だけ相手から顔をそむけて(多くは斜め下を向いて)つぶやくように言う というのがあります。
すると観客には、「あぁ なるほど、相手役には聞こえていないのだな」と認識されます。
舞台の場合は、本当に小さくウィスパーで言うと観客に聞こえないので それなりに大きく発し 相手役から顔をそむける動きをはっきりととることで傍白であると解からせます。

これが「独白」と「傍白」の違いです。
この二つの違いを解かっていると、みなさん 戯曲や脚本をより深く享しめ、眼前に具体的なイメージが広がりやすいのではないか と思います。

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※3月4日のオフ会、みなさん楽しくお話しやしょうでやす!
タグ:独白 傍白

90年代ファッションリバイバル [独り言]

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最近 街なかで時々、ブカブカの寸胴コートに身を包み 襟足は刈り上げフロントとトップはシャギーを入れてさか立て膨らませたヘアスタイルの若者を見かける。
そう、90年代ファッションである。
90年代ファッションが、一部の若者の間でリバイバルヒットしているのである。
30才前後の頃 ラフォーレ原宿地下のインディーズブランドで90年代ファッションを享しんできた私は、そんな若者を目にする度に、くすぐったいような嬉しさでいっぱいになる。

----異様なエネルギーにうねり転がってきた60年代若者文化が完全に了りをとげたのは、70年代頭であった。
その後、入れ換わるようにシラケの時代が到来した。
それまで サイケデリックなどで強烈な自己主張をしてきた若者ファッションも、個性も反骨も何もない 実につまらない時代へと下降してしまった。
大企業に「右向け右」と単純に操られるだけの意思なき時代へと マイナーチェンジしてしまった。
こんな低迷期は、80年代半ばまで続く。
それからようやっと、「こんなつまらいファッションの時代は嫌だ!」と うっぷんを爆発させるように開花したのが、いわゆる90年代ファッションである。
様々なジャンル音楽が同時多発的にブームになり 若者は、大人が眉をひそめるような奇抜な格好で街を闊歩した。
着たい服が50年代の古着以外に見つからなかった私も、初めて新品で欲しい服が手に入る時代となった。
そんな時代のファッションを、おそらくネットや当時の雑誌などで知った若者が、「こういうのいいよねー!」と模倣したのである。

50年代ファッション 60~70年代初頭までのファッション そしてこの90年代ファッション。
エネルギーに溢れていた魅力ある時代のファッションは、必ず発掘され再び脚光を浴びるのだ。

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※3月4日のオフ会、どんなファッションのかたも大歓迎でやす!

阿佐ヶ谷 喫茶店「珈司」 [独り言]

阿佐ヶ谷駅に降り立つと、私が必ず立ち寄る店がある。
木枯し吹きすさぶこの季節にも、背中を丸めコートの襟を立て けやき並木の通りを その店を目指す。

その店の名は珈司。 古い小さな喫茶店である。

長年の雨風を受けてきたとひと目で判る幌に 控え目なOPENの黄色いプレート
中は、微かに民芸調の匂いのする 焦げ茶色である。
ランプ型のペンダントライト 田舎の風景の油彩画 甘さのないレエスのカーテン
音楽は流れていない。

珈司は、マスター一人で営られている。
今より少し若かった頃の唐十郎にどこか似ている 愛想のよい穏やかなマスターである。
メニューは飲み物だけである。
ブレンド250円。
この安さでありながら、しっかりと苦味の効いた 充実の旨さである。

カウンター席に入れかわり立ちかわり 近所のかたと思しき常連客が掛ける。
自身の身辺の話 世相の話 阿佐ヶ谷の街の話・・・・。
マスターはその度に、相槌を打ち 笑い 時に「それは違うよ」と辛辣な意見を放つ。

ブレンドの苦さを鼻腔に享しみ、レエスのカーテン越しに 葉の落ちきったけやき並木を眺める。
マスターと常連客達の会話をBGMとしながら。

裸の枝が木枯しに揺れる。
珈司は今日もあたたかい。
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※3月4日のオフ会、下戸のかたも大歓迎でやす!

タグ:喫茶店 珈司

気遣いへの応えかた [独り言]

これは、私が若かった時、飲食店でアルバイトをしていた頃の話である。

入って何カ月か経ったある定休日、友人とちょっとした日帰り旅行に行ったので、調理担当のチーフに「店のみなさんで召しあがってください」と まんじゅうの箱を手渡した。
どこの観光地にも並んでいる 日持ちのするどうということのない ありきたりのつまらないまんじゅうである。
気遣い1.jpgと、次の日----
チーフは、私が出勤するなり 満面の笑みで向いた。
「ぼんぼちちゃ~ん、あのまんじゅう、ウッマイなぁ~。 ほんっとにウマかったなぁ。 いやぁ、ウマイまんじゅうだったよ~」
チーフは、「ウマかった」という言葉の向う側で 「気を遣ってくれてありがとう。 その心遣い嬉しいよ。」と言ってくれているのだった。
私はチーフの人柄の良さと気遣いに対するさりげない応え方の上手さに感激した。

それから何週間か後----
出勤前に店の近くの自然食レストランで食事をとっていると、奥からこんな声が聞こえてきた。
「こういうことしなくていいからっ! ほんとにもう次からは買って来なくていいからっ!」
まるで 悪事や失敗を叱咤するような言い方だった。
見やると、店主の中年女性が怖い顔をし、前では大学生のアルバイトと思われる女の子がうなだれていた。
その後のやりとりから、バイトの彼女が郷里に帰った折に土産物を買って来たことを「気遣いはしなくていい」気遣い2.jpgと諭しているのだと判った。
「そんな言い方することないだろう!!」
私は憤りに 右手の箸がふるえた。
「若い者というのは、大人社会に適応しようと 自分達なりに一生懸命なんだよ! それをそんな否定的な態度で押しつぶすことはないだろう!!」

私は改めて、いいチーフの下で働かせてもらっていると実感した。
同時に、自分が歳を重ねた時、年少者に、間違ってもこの自然食レストランの女店主のような態度はするまい、チーフのような応え方ができる大人になろう、と我が内に誓った。
そして、五十半ばとなった今も、その誓いは忘れてはいない。


※3月4日のオフ会、初めてのかたも大歓迎でやす!
タグ:気遣い

決定稿と完成台本 [独り言]

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映画勉強したことのあるかたは、お気に入りの劇映画作品の脚本を読むことも、映画の享しみのひとつとしておられることと思う。
映画を勉強したかたがた、読む脚本は、決定稿と完成台本、どちらを好まれているであろうか?
私は前者である。

----映画を勉強したかた以外は興味がないためにご存じないとお察しするので、ここで簡単に、決定稿と完成台本の違いを説明したいと思う。
先ず前者は、脚本家が稿を重ねた末にokが出て、「ではこの本で撮りましょう!」と成ったものを言う。
そして後者は、映画が撮り了り 編集された本編を観ながら起こされた脚本を言うのである。

私が何故、前者を読むほうが好きかというと----
「ははーん、このロケ場所では説明台詞をつけなければ状況が見えづらいから この台詞を加えたな」とか、「うわっ!このシーン、決定稿ではここに入ってたんだ!ずいぶん入れ替えたなぁ」と、現場や編集段階で変更になった箇所が詳らかに解るからである。
映画好きにとって これほど前のめりになれることはない。

勿論、完成台本を読むことにも興味がない訳ではない。
作品を観ながらパラリパラリとなぞると、単に画面に向いていただけでは何百回観ても着地できなかった深層部分に降り立ち咀嚼することができるのだから、これも又 非常に意義ある行為である。

だから、脚本の優れた劇映画に遭遇すると、私は必ず、その作品が掲載されている号が在るか否か 月刊シナリオのバックナンバーを探しに 神保町矢口書店へ足を運ぶのである。

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※3月4日(土)のオフ会、食べ物・飲み物の持ち込み大歓迎でやす!

台詞シリーズを一年間綴りきて  [独り言]

2016年、私・ぼんぼちは、「台詞シリーズ」と題した 一人の人物のしゃべり言葉だけで構成された短尺の作品を 四記事に一記事公開してきました。
ドラマの短いワンシーンの脚本のような体をとったものですが、読んでくださるかたがたが それぞれに様々なイメージ・解釈を抱いてくださればと思い、あえて しゃべっている相手の台詞やト書きは一切入れませんでした。

読んでくださるかたには解らずとも、自分の中で密かに守ってきたルールもあります。
「100%完全な虚構ではなく 自分が見聴きしてきた あるいは友人から聞いた『現実』を使うこと」です。
話によっては、人物名や単語を一つ替えただけのものもあります。
芥子粒から金平糖を形成するように ほんの些細な見聞を大きく脚色したものもあります。
が、とにかく、このシリーズは「日常にありがちなリアリズム感」を大切にしたかったので、まるまるの嘘事は書きたくなかったのです。

一年間でちょうど30話公開したわけですが、私なりに一番気に入っているのは「シニア割引」です。
このくらい端的に短くオチがつくのが理想です。
作るには、長尺にして話を展開させてオチをつけるのは簡単で、短尺になればなるほど難しいのです。
その次に気に入っているのは、「下車駅」「市民会館第二集会室」でしょうか。
私はこういうタイプの変な人に妙に興味をそそられるのです。 身近にいたらイラつくかも知れませんが。

とにもかくにも、みなさん、私の拙い自己満足の作品に一年間お付き合いくださり ありがとうございました。
ぼんぼち、感謝の気持ちでいっぱいです。
で、台詞シリーズ、今年だけでやめようかとも思ったのですが、まだまだネタもあるし 何より書いてて楽しいので、来年も続けることにします。
来年は、より時節に添った話を公開できれば、と思います。

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タグ:台詞

 同じであるのが友達なのか???  [独り言]

いつだったか----
テナントビルの中の寿司屋の席に掛けると、ラディッシュのスライスに明らかに出来合いと判るドレッシングをかけただけの小鉢が出てきた。
客全員に供されるらしい「おまけ」のような どうでもいい感じの一品だった。
隣のテーブルの4人の中年の御婦人の所にも出された。
と、その中の一人の御婦人が、嬉しく驚いたように声をあげた。
「わぁ!これ、美味しい!」
すると、すぐに続いて 「まぁ!美味しいわ!」 「あら!美味しい!」 「ほんと、美味しいわね!」
全員が、同じ声の調子で同じ様に 「美味しい!」と発したのである。
私は、特別どうということのないラディッシュのスライスに4人全員が同じに感嘆するなんて奇妙だな、と思った。

別の日----
カレー屋に入ったら、ビッグテーブルをぐるりと囲んだ女子高生5人全員が、まるで計りで計ったように ライスとルーを同じ分量だけ残していた。
皿の端に丸く寄せた寄せ方まできっちり同じだった。
この時も、全員が同じ分量だけ食べきれないなんて奇妙だな、と思った。

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街なかで数人組の友達同士らしい人達を観察していると、このように言動がぴたりと一致しているという クローン人間でもない限り本来あり得る筈のない奇妙な一致というのに しばしば遭遇する。
おそらく、一人に合わせて他の皆が嘘を吐いて倣っているのだろう。 そうとしか考えられない。

----それにしても、どうしてそんな嘘を吐くのだろう?
リーダー格の人に、「私と同じじゃなくちゃ友達と認めない!」と圧力でもかけられているのだろうか?
あるいは、リーダー格は何も言わなくとも、「この人と仲良くなるためには同じふりをしなくちゃ!」と 周りがすり寄るのだろうか?

私は嫌だ。
誰かと同じであろうとはみぢんも思わないし、そういうふりをしたいとも思わない。
そんな嘘を吐くのは相手に対して失礼だと思うし、自分も苦しいからだ。
又、誰かに「自分と同じ」ことを執拗に求められるのも はなはだ不愉快だ。
一度でもそんな感情を向けられたら、私はその人を友達候補から除外し、単なる「知り合い」として必要最小限の 距離を置いた付き合いだけにとどめる。

そもそも、一体全体何故ゆえに、友達同士が「同じ」である必要があるのだろう???
本音で 意見・嗜好の違いをぶつけ合い 論じ合い 徹底的に理論を交せ合えてこそ友達ではないのか???
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タグ:友達

 着ぐるみのススメ  [独り言]

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今年2月、つまり前々回のオフ会にご参加くださったかたはご記憶のことと思いやすが、あっし・ぼんぼち、着ぐるみで皆さんをお迎えいたしやした。
フリース素材の黒猫の着ぐるみでやす。
この着ぐるみ、その後 どうなっているかというと-----
この季節、部屋着として大大大活躍しているのでやす!

オフ会の最中、「わぁ!なんて温かいんだろう!」と感じたことを思い出し、試しにお風呂上りに着てみやした。
上下に分かれていないので 熱が逃げることなく胴体部分にほこほことこもってくれ、フードをかぶり足は土踏まずの部分までおおってしまうと、首も耳も足もほこほこで、靴下もいりやせん。
あまりに温かいので、エアコンをつけていると暑いくらいでやす。
又、着脱もあっという間でやす。
それまで、トップス ボトムス 靴下 と、フリース三点セットを着けなければならなかったところが これ一着で済むのでやすから。

そして、この着ぐるみ、着ているともう一つ良いことがありやす。
----気持ちも温かになること でやす。
昼間ちょっと嫌なことがあってどんよりしている日も、着ぐるみを着て姿見に向かうと、思わず口角があがりやす。
あっしはついでに招き猫のポーズで「にゃあ」と発してみたりしやす。

みなさんも、お一人で あるいはご家族ぐるみで、フリース素材の着ぐるみで身も心もほこほこになられてはいかがでやしょうか?

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タグ:着ぐるみ

 喫茶店のBGM  [独り言]

私は喫茶店マニアなので しょっちゅう喫茶店に行く。
二軒はしごする日も珍しくなく、よく利用する街には「なじみの喫茶店」が何軒かづつ在る。
私が「なじみ」にしたい、つまり 喫茶店に求める重要要素は以下である。
第一に、店員さんの接客態度が良いこと。
二番目に、内装(椅子テーブル・調度品なども含む)が古めかしく焦茶色でまとまっていること。
そして三番目に拘るのは、BGMである。
----そう、BGM。 どんな音楽がかかっているか、私にとって かなり重要な要素なのである。

喫茶店.jpgというのは、私は好きな音楽と嫌いな音楽が非常にはっきりしていて、好きな音楽の中に身を置いていると至福に心がほぐれるが、嫌いなそれだと、拷問を与えられているが如くに精神的圧迫を覚え、すぐさまその場から逃げ出したくなってしまうのだ。
具体的に挙げると----
シカゴ以前のブルース オールディーズ オールドジャズなら至福、70年代以降に主流となった音楽はすべて拷問、クラシック音楽はやや苦痛、BGMとして最も多くの喫茶店で使われているモダンジャズは、至福とまではゆかないけれど苦痛でもない、といったところである。

喫茶店2.JPGたまに看板にJAZZと掲げていながらクラシックを流したり いつもはオールディーズなのに唐突に80年代ロックをかける店があり、落胆してしまうことがある。
そんな時、他にお客さんがいなければ いつもの音楽に戻していただくのだが、店員さんの対応から「うちの店のBGMはこれなんです!」と信念を持って経営している店は意外と少ないと判る。
それだけ 喫茶店で音楽に拘る客が少ないということなのだろう。
「この音楽がかかるからこの店に来るのは止めよう」という客は、あまりいないのかも知れない。
店の売上を左右する重要な要素でなければ、店主のその日の気分で替えたりする可能性も大きくなるわけである。

私がなじみにしている十数店の喫茶店の中、前述の三要素全てをみぢんの不満も感じさせずに満たしている店が 一店だけ在る。
三鷹の「リスボン」である。
BGMは、オールディーズである。
明るくてきぱきと愛想の良い初老のマスターは心底オールディーズがお好きなようで、仕事をしながらしばしば合わせて口ずさんでおられる。
ここならいつ来ても間違いなくオールディーズに酔いしれることができる。
スピーカーの真下の席が空いていると、迷わずそこを陣取る。


タグ:喫茶店