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父と母の仲 [独り言]

これまで私は何度となく 母親に酷い虐待を受けてきたことを吐露してきましたが、今日は、母は父とはどんな様子だったのかを綴りたいと思います。

まず、何故 父と母は結婚したかを簡単に説明します。
父はオーケストラのバイオリンニストだったのですが、クラシックの仕事だけでは食えずに、テレビの歌番組のバックのオーケストラのアルバイトをやってしのいでいました。
今でいうと、ギタリストだけど自分のバンドが売れないからアイドルのバックバンドをやって しょっちゅうチラチラテレビに映っている といった所でしょうか。
加えて父はルックスが良かったので、ミーハーな女にはずいぶんとモテていた様で、常に周りにたくさん女がおり、母もそんな中の一人でした。

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と、母は、望まぬ妊娠をしました。
それをチャンス到来とばかりに利用して、父を一人占めしたいがために 「産んでいいよ」と言わない父を無視して、子供嫌いだったにも関わらず 強行突破で勝手に一人で私を産み「これ、アンタの子だから責任とってよ!」とやったわけです。
父はしぶしぶ 私が十八才になるまでという期限付きで入籍し、私が三才になる頃には歌番組のバイトでも母と私を養いきれなくなり 全く別の仕事を始めました。
私の記憶にあるのは、父が別の仕事を始め、経済的にぐんぐん豊かになりつつある頃からとなるのですが、その頃から離婚するまで、母は、父が傍にいる時は しじゅうこんな言動をぶつけていました。

「昔は痩せててカッコ良かったのに今じゃ豚みたいに太って醜くなった! あー!まったく騙されたもんだよっ!」
「ヨーロッパ旅行に連れて行くって言ってたのに いつも国内ばっかりだーーーっ!この嘘つきがーーーっ!」
「アタシは世の中で一番サイテーな男と結婚するハメになった世の中で一番可哀想な女だぁっ!」
母が父のために料理を作ったことは一度もなく、鰯を甘じょっぱく煮たものなど 父は自分が食べたいものは自分で作って食べていたのですが、それを横目で見ては
「おーおーおー! また不味いもん作って食いやがってよー!」
と嘲笑し、私が食べようとすると
「あんなもん不味ーーーい! 食うなーーーっっっ!」
と、食べさせてくれませんでした。
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父は、私が小学四年の時から会社経営を始めたのですが、母は経営のノウハウなど何一つとして解からないのに、
「大卒は甘チャンだから入れるなーーーっ!入社させるのは中卒か高卒だけにしろーーーっ!」
と命令したり、社長室の椅子にふんぞり返って座ったり、家族旅行に若い社員を運転手としてアゴで使ったりしていました。
又 夜になると、「ギャーーーーーーーーッ!!!」と奇声を上げながら ヤカンを床に叩きつけては拾ってまた叩きつけて・・・・を二時間くらい繰り返していました。
母が父に対して 優しい言葉どころか普通に話しかけたことは、私の記憶にある限り ただの一度もありませんでした。

そんな母に対して父は、いつも何も答えずにヘラヘラッと笑っていました。
私は漠然と「これが当たり前の夫婦」だと思っていたので、その様子を見ても 別に辛いとも悲しいとも思いませんでした。
むしろ父が傍にいる時は 怒りの矛先が父に向いていて私は母に殴られる可能性が低いので、そういう意味で嬉しかったです。

今思い返すと、父はよくこんな母親と入籍し 十八年間もの間辛抱してくれたものだと感心します。
私だったら 認知して養育費だけを送って他人のままでいます。
父が右に出る者がいないほどの楽天的な性格だったおかげで、十八年間、一般的とは言えなくとも家族でいる事がなんとか保てていたように思います。

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タグ:両親 父母
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バーテンダーさんとバーテンさん [独り言]

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みなさんは、オーセンティックなバーで、ネクタイをきちんとしめてベストもピタリと着用し 一筋の乱れもなく髪を撫でつけ、洋酒・カクテルのことなら専門書のごとく知識があり それでいて決して出過ぎない態度の従業員のかたを何と呼ばれているであろうか?
-----「バーテンダーさん」 その通りである。

「バーテンさん」と呼ぶのも あながち間違いというわけではない。
しかし、バーテンさんという呼び方には、ちょっと大衆的で小馬鹿にしたニュアンスが入ってしまうのである。
解かりやすく例えるのなら、ハイヤーの運転手さんを「運ちゃん」と呼ぶのと同じである。
バーテンと呼ぶのに相応しいのは、昔イッセー尾形さんが演じていたような 洋酒の知識もろくになくまともなカクテル一つ作れず、客のいない時間にはカウンターにテレーッと肘をついて与太話に余念のない お世辞にも品がいいとは言えないバーの店員である。

中には、「バーテンさん」という呼称がそういったニュアンスを含んでいる事を知らずに バーテンダーさんをそう呼んでおられるかたもいるかも知れない。
勿論バーテンダーさんの側では、前後の言葉づかいや表情から 蔑称として使っているのではないとピンと察してくださる。
「このお客様は正しい言い方をご存じないだけなのだな」と。
だから、笑顔で接客を続けてくださるに違いないが、内心はあまり気持ちのいいものではない筈である。

オーセンティックなバーの席に掛けたら、きちんと「バーテンダーさん」と呼び、心底気持ちのよい接客で 迎え送られたいものである。

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エゴイズムの生き物 [独り言]

もう十年以上前、猫を何匹か飼っていたことがあるのだが、内二匹は病気で死んでしまった。
その猫達に対して 私は今でもしばしば、「もっと早く病気の兆候に気付いてあげていれば・・・・」「いたずらをした時にあんなに怒らなければ良かった」「自分の具合が悪かった時に冷たくあしらわずに 自分のことは二の次にして温かく受け入れてあげれば良かった」と 罪の意識にさいなまれる。
そして、「ごめんね ごめんね ごめんね ごめんね・・・・」と 勘定しきれないほど唱えてしまう。

しかし----
私は毎日 肉を食べている。
焼き鳥ならどこそこの店が旨いだの インドカレーの具はマトンに限るだの 豚足醤油煮には八角は欠かせないだの・・・・。
又いくつもの革製品を所有し 冬は毛皮のコートをまとっている。
牛革の財布は使いこむごとに味か出るだの 山羊革の手袋は薄くて柔らかくて着け心地が良いだの ハラコの手触りと柄は最高だの・・・・と。
そこには罪の意識はみぢんもない。

同じ命ある感情ある痛みある動物に対して、この気持ちの差は何だ?
ほとほと自分という人間に 嫌悪を覚えずにはおれない。
否、私のみならず、世の中にはこういう人間が大半なのではないだろうか?
つくづく 人間とは何とエゴイズムの塊の生き物なのだろうと思う。

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ぼんぼち選・寺山修司監督映画作品ベスト5 [独り言]

私・ぼんぼちは中学生の時からの寺山修司の熱烈なファンなので、寺山が監督した映画作品も殆ど観ています。
寺山映画は、私の人生の映画鑑賞観に深く大きく影響を及ぼしています。
というわけで、今日は、あくまで主観的にですが、私の選んだ寺山監督映画作品ベスト5を挙げてみたいと思います。


一位 書を捨てよ町へ出よう

やはり寺山映画ベストワンと言えば、この作品をおいて他にないのではないでしょうか?
劇映画でありながらメタシアター的な要素をふんだんに取り入れた寺山初の長編作品。
虚構と現実をゆききする自由さに圧倒されつつ 映画というものの何たるかを根元的に考えさせられます。


二位 田園に死す

執拗に追いすがる母を殺したくても殺せない 寺山の自伝とも受け取れる作品。
「記憶とは捏造されるものである」というテーマが、非リアリズムの手法によってリアルに迫ります。
主人公の青森の家の室内のセットが屋台崩しされるとそこは新宿の雑踏である というラストショットも衝撃的。


三位 二頭女

私は寺山の短編実験映画では、この作品が突出して優れていると解しています。
実像とは別の動きをしてゆく影というものを用いて、過ぎ去った時の虚しさが美しく表現されています。


四位 ローラ

スクリーンの中の女達の挑発に乗り 観客の一人(仕込まれた役者)がスクリーンの中に飛び込んでしまう という 何ともユニークな作品。
ここでも寺山は、映画の根元的なありかたに疑問符をつきつけています。


五位 トマトケチャップ皇帝

五位に関しては、どの作品を入れるか 非常に悩みました。
結果この作品に決定した理由は、ここには他のどの劇映画監督にもどの実験映画作家にも創ることができないに違いない 寺山ならではの発想と理論があるからです。
ユーモラスかつエロティックな映像がテムポよく展開します。


みなさんもご存じのように 寺山は、ありとあらゆる表現形態で以って我々観客を驚愕させ吸引しましたが、日本映画史を語る上でも欠くことのできない存在でした。
映画は演劇と違って こうして没後も作品を観ることができるので(ローラに関しては例外となりますが)機会ある毎に堪能反芻したいものです。
それにしても、現在の日本映画界、寺山修司のみならず 勅使河原宏も松本俊夫も過去の人となってしまいました。
なんとも寂しいかぎりです。
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歯みがき [独り言]

毎日 夜更けに歯みがきをするのだが、これが実にめんどくさい。
上下 表裏 更には歯間ブラシでコキュコキュと 一日に溜まったものをこそげ落とさなければならない。

めんどくさいものだからその時間はとてつもなく長く感じ、なんだか一日の大半を歯みがきに費やしているような感覚に陥ってしまう。
しかし、日々丁寧にこそげ落とさなければ、口腔内の健康は保てないのだ。

好 嫌 恨 憎 妬 憧 恥 悔・・・・・・今夜も 言えずに歯間に詰まった言葉を、ひとかけらも残さずこそげ落とす。
そして、グチュグチュブッと吐き出し、深呼吸して明日に備える。

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生まれたかった時代 [独り言]

もしも生まれる時代を選べるとしたら、みなさんはいつの時代に生まれたかったであろうか?
私は1940年代半ばである。
その時代に生まれていたら、ちょうど1960年代に青春期を迎え、三島由紀夫の派手なパフォーマンスをテレビで観 寺山修司の旗揚げ公演に足を運び 松本俊夫の拡張映画を体感し スパイダースとゴールデンカップスのライヴに身体をうねらせることが出来たのだ。
60年代という時代は、若者文化が異様なエネルギーを持ち 私の興味とするものもぎゅうぎゅうに詰まっている時代だったのである。

私は1962年生まれなので、物理的には生まれていた。
しかし、それらの文化を享受するには 余りに幼すぎた。
私の青春期が来ようという頃には、悲しいかな それらの文化は、焼け跡の燃えかすの灰色の残骸と化してしまっていた。
そしてその後にやってきたのは、無意志 無気力 無反抗の「シラケ」の時代だった。
1970年代半ばから1980年代半ばを青春期に迎えた私は、シラケ世代ど真ん中だった。
運悪く、戦後で一番つまらない時代であった。

生まれる時代は選べない。
もう15年早く生まれていれば・・・・・・・!

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戦車の思ひ出 [独り言]

三才から九才まで、福岡県の春日郡(現・春日市)という 米軍の基地の在る町に住んでいた。
郡民の住む町と基地との境目には大通りが通っていた。
その大通りをしばしば 戦車が走っていた。
我々郡民にとって戦車の通過は、町の日常の中の ちょっとしたイベントなのだった。

----遥か遠くから何とも形容のしがたい轟音が聞こえてくる。
と、町を歩く子供も大人も「あっ!戦車が来る!」と、その場に立ち止り 大通りを凝視するのだった。
徐々にその音は近づき、巨大な岩石の塊のような戦車が、地面を揺らしながら ゆっくりと登場するのである。
子供は「わぁー! センシャセンシャー!」と手を叩き、大人は「ホウ!」と圧倒されたふうに見上げる。
私の手を引いた祖母も腰をかがめ、「ぼんぼちちゃん、戦車見んしゃい、見んしゃいー」と、私の頬に頬を寄せた。
巨大な岩石は、この世にこれ以上大きく重く堅い物体はないと思わせずにはおれない姿を郡民に披露しつつ アスファルトを這った。

そして ゆき過ぎると、我々は再び いつもの日常の動きに戻るのだった。
買い物カゴを下げた婦人達は、「ここは基地があるおかげで 税金が安くて住みやすいけんねー」と ホクホク顔で声を上げていた。

他愛ない戦車の思ひ出である。

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ぼんぼち選・優良映画館ベスト5 [独り言]

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私・ぼんぼちは映画観賞が趣味なので、自室でDVDを鑑賞する以外にも しばしば劇場に足を運んでいます。
ということで、今回は、あくまで主観的にですが 私が優良だと感じている映画館のベスト5を挙げさせていただきたいと思います。


1位 シアター・イメージフォーラム

劇場経営だけでなく、映像研究所の運営やダゲレオ出版としてDVDや書籍の販売も行う 多方面から映画とは何かを教えてくれる映画館です。
私はこちらの研究所で「世界実験映画史」など 映画の何たるかを知る上で大変重要かつ有意義な講義を受けました。


2位 アップリンクファクトリー

松本俊夫短編全作品上映やチェコアニメーション特集など 上映作品の選別に優れています。
以前はファイヤーストリートから一本入った坂の途中に在りましたが、現在は奥渋の落ち着いた場所です。 


3位 東京国立近代美術館フィルムセンター

荻野茂二の文化映画や東ドイツ映画特集など、他ではなかなか観ることのできない貴重な作品が上映される国立の劇場。
機材の歴史やポスターなどが展示されている展示室も併設されており、常設展や企画展にて、楽しみながら映画を学べます。


4位 ラピュタ阿佐ヶ谷

1950年代~1970年代の日本の商業映画が上映されることが多いですが、世界アニメーション特集が組まれ ありとあらゆる技法のアニメーションが公開されたこともありました。
ウッディーなロビーでは、昔の映画スターのプロマイドや映画関連の書籍も販売されています。


5位 ユーロスペース

「不思議惑星キン・ザ・ザ」や勅使河原宏×安部公房特集など、大きなスクリーンで今一度観たい達作を扱ってくれる劇場です。
以前は渋谷区桜丘に在りましたが、同区内の円山に移転しました。


これらの映画館が存在してくれたおかげで、随分 私は精神的飢餓感から救われました。
これからも素晴らしい作品を上映していただきたいと思います。
と、振り返ると、5劇場のうち、イメージフォーラム アップリンクファクトリー ユーロスペースと 3館が渋谷ですね。
渋谷はうすっぺらな若者の街になって久しいと嘆く向きも多いけれど、こうした優れた文化を発信する場所も豊かに在るので、嘆いてばかりいないで敏感に受信したいものです。
また、迷わずベスト5の中に入れたかったけれど 閉館してしまった劇場もあります。
下北沢に在ったシネマ下北沢です。
手造り感溢れる木造りの内装がたまらなく好きでした。
オーナーさんお二人とお話をさせていただいたこともあり、懐かしいと同時にとても寂しく残念に思います。
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鰻とゴーヤのスパイシー炒め [独り言]

今現在はまったく料理を作らないぼんぼちでやすが、10年くらい前は 楽しみながらいろいろと創作料理に挑戦してやした。
今回は、この季節になるとよく作っていた 食欲のない時にも箸がのびる ぼんぼち料理のひとつを紹介させていただこうと思いやす。

まず、フライパンに、ごま油とちぎった鷹の爪を投入し熱しやす。
そこに、鰻の蒲焼きのざく切りと半月型にスライスしたゴーヤを加え 強火でざっと炒めやす。
赤ワインを入れ、もう少し炒めやす。
蒲焼きに付いてるタレをまわしかけやす。味付けが薄いようなら シーズニングソースで調節しやす。
弱火にしてもう少し炒めやす。
火を止め、カレー粉と五香粉をまわしかけ、全体になじませやす。

これで出来あがりでやす!
ゴーヤのスライスは薄過ぎないほうが、鰻やスパイスの強さと調和がとれて合うと思いやす。
また、お好みで、もやしや人参のスライスやきくらげを入れても 味に変化が出 色どりも豊かになって楽しめると思いやす。

白いご飯にもビールのアテにもぴったりの一品でやす。
暑さでぐったりした夕などに、みなさんも、お気がむかれたら、試してみてくだされ!

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演劇部の思い出 [独り言]

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中学高校と、演劇部に在籍していた。
中高一貫教育の学校だったので、部も中学高校一緒に活動するのだった。
ほんとうは、映画部に入りたかった。
しかし私の学校には映画部はなかったから 仕方なく演劇部を選んだ。
将来は舞台衣裳を作る仕事がしたいと熱望していた私は、演劇部で衣裳係をやらせてもらおうと考えたのだ。

けれど入部してみると----
日頃の活動は全員役者の基礎レッスンに励み、年二回の学内公演に向けては、部内オーディションを行い、好むと好まざるとに関わらず、選ばれた者はキャストをやり 選ばれなかった者はスタッフにまわされるのだった。
が、衣裳に限っては、キャストが自分自分で作るならいとなっていた。
コーチはいなく、全て、先輩が後輩を指導するという形をとっていた。

私は役者には興味はなかったので、日頃の基礎レッスンは嫌々やっていた。
のみならず、先輩の示す「これが正しい演劇」という指導方針は、「まるで間違っているのではないだろうか? どう考えても納得できない」と ひどく疑問を覚えずにはおれないものだった。
公演に向けては、キャストに選ばれなかったら 本意でない装置や照明や音響を担当しなければならなかったし、選ばれて自分の衣裳は作れたとしても、他のキャストとの調和を図りながらデザインするという 演劇の衣裳に於いて非常に重要なことには踏み込めないしくみとなっていた。
稽古での先輩の演出も、首を真横に傾げたくなるほどに疑問を感ずることだらけだった。
演目も、生意気に 三島由紀夫や安部公房など 中高生にはおよそ解釈不可能な難解なものばかりを選んでいた。
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ある日の部内会議の時、私が「コーチを呼んで、コーチの指導のもとに活動したいです」と提案すると、先輩達はいっせいに、「私達がちゃんと指導してあげてるじゃない! 私達の指導に文句があるの?!」と まるでとっぴょうしもない悪案を提示した者のように責められた。
そういう先輩達は、誰一人としてスタニスラフスキーのスの字も知らないのだった。
また別の日の会議の時、「学内公演を部外の生徒達が殆ど観ようとしない。 観るようにするためにはどうしたらよいか?」という課題が持ちあがった。
私が「難しい作家の戯曲ではなく、自分達の等身大の 中高生が登場人物の解かり易い創作物を演ったらよいと思います」と発言すると、「そんなのダメよ! 演劇部なんだから三島や安部を演らなくちゃダメよ!」と 意味不明の理由で却下され、その後もそれらを演り続け、生徒の殆どは観ない という状況は続いた。
自分達が理解できないものを理解できないままに演っているのだから、観たくなるものに仕上がる筈はないのだった。

部員の殆どは「私達はエンゲキをやっているのだ!」と血気盛んだったが、私には、まったく無意義の学芸会サークルだった。

だが私は、こんな演劇部に入ったことを 少しも後悔はしていない。
何故ならあの時 幾多の大きな疑問を感じたがために、「いつかこれらの疑問を解決しなければ気がすまぬ」という欲求が膨らみに膨らみ、時間に余裕のできた30代半ばから40代半ばにかけて 徹底的に勉強することとなったからである。
演劇理論 演技論 演技の実践 演劇史・・・・・むさぼる様に学んだ。
あの演劇部に入っていなければ、私は後年 これほど熱心に演劇を勉強しようとは思わなかった と言い切れる。
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タグ:演劇 演劇部
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