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さいかんの大将にヤマメをいただく [独り言]

先日いつものように、三鷹の中華料理店さいかんに飲みに行った。
いつものように、中華メニューをあれこれ注文し、ずらずらと眼前に並べる。

----と、小ぶりでスマートな川魚の塩焼きが差し出された。
「これヤマメ、昨日釣ってきたんですけどね。 もしお嫌じゃなければ」
大将が笑顔で立っておられた。
私の心は清流のヤマメのように小踊りした。
何故なら----
私は理屈抜きに、大の川魚好きだからである。
のみならず、ちょうど幾日か前に 井伏鱒二の川釣りにまつわる随筆を読み了えたところで、アユだイワナなヤマメだと 釣り方や釣り上げた時の感慨を鮮烈に受けたばかりだったからである。

奥多摩あたりで釣られたんですか?」
山梨まで行って来たんですよ」
「たくさん釣れましたか?」
「まぁまぁってとこだねー」
大将は、はにかみながら厨房に戻って行かれた。
----そういえば、井伏の随筆の釣り場も甲州だった。

淡い味わいの白い身をありがたくいただく私の頭蓋に、新緑の中 喜々と竿を上げるさいかん大将と井伏の姿が重なった。

さいかん.JPG

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アルバムというもの [独り言]

アルバム.jpg

もしも、何の前情報もなく私の家族のアルバムを人が見たら、「円満な家庭だったんですねー」と 目を細めるに違いない。
アルバムの中の我が家族は、笑顔で寄り添い 見るからに仲むつまじそうなショットばかりだからである。
しかし、私の家庭は 円満などとはほど遠い所に位置していた。
母は勝手に一人で私を産み 無理やり入籍にもってゆき、父はそんな母を愛する筈もなく ほとんど家に帰らず、母は誤算の腹いせに毎日私を記憶がなくなるまで殴りつけていた。
写真を撮る時だけ円満な家族のふりをして、その中でもいかにも相応しいものだけをアルバムに収めていたからである。
見栄と世間体のために。
----「アルバム」というものは、こういうものではないのだろうか?
我が家のようにここまで極端な例は少数かもしれないが、程度の差こそあれど アルバムというものの作られるしくみというのは、こういうものではないだろうか?
どの家庭にも、大喧嘩した事 最悪に冷え切った事など一度や二度はあるだろう。
けれど、アルバムの中にはそういった負の出来事は一切入れられず まるで無かったこととされ、「さぁ、笑って!」「もっとくっついて!」とカメラを向けられそれに応えたものだけが、あたかも家庭の記録の全てとされているのではないだろうか?

学校の卒業アルバムも全く同じで、どれほど酷いいじめがあった学校でも、卒業アルバムではそんなことはみぢんも無かったように作られる。
どの学校の卒業アルバムを開いても、そこにあるのは 皆で一丸となって輝いた青春の笑顔ばかりである。

険悪な空気の中でだらだらと進行したテレビのパラエティ番組の公開録画が、編集後観ると、テムポよくノリノリで盛り上がっているのと同じである。

アルバム1.jpg

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あぁ!懐かしの文化屋雑貨店 [独り言]

文化屋雑貨店----この店名を聞いて「あぁ!懐かしい!」と声をあげるのは、70~80年代に東京とその近郊で青春時代を過ごされた お洒落好きなかたであろう。
私もその一人である。
中高生時代、クラスの大半が文化屋雑貨店ファンで、お気に入りの戦利品をこっそり学校に持って行って自慢したり 休日にばったり店前でクラスメートと鉢合わせしたり と、文化屋雑貨店は、私達の生活に欠くことのできぬ 青春の象徴の店だった。

文化屋雑貨店.jpgここで文化屋雑貨店をご存じないかたに 簡単に説明したいと思う。
文化屋雑貨店とは、チープでキッチュでどこかレトロな 当時としては独創的なセンスに溢れる アクセサリー バック 食器 インテリア小物等を店内狭しとぎゅうぎゅう詰めに販売していた小さな店である。
社長は、「欲しいものが世の中に売られていない」という理由でオープンさせたという。 1972年のことだった。
最初は渋谷のファイヤーストリートに在り、その後 原宿のキャットストリートに移転した。

文化屋雑貨店1.jpg「欲しいものが売られていない」----これは、当時の若者の多くが感じていたことではないだろうか?
商品の数はあっても所有したい物が売られていない----と、日々精神的飢餓感にうつうつとしていた若者は多かったのではないだろうか?
その飢餓感のど真ん中を打ち抜いたのが 文化屋雑貨店なのである。

90年代以降は、もぅチープでキッチュなものは似合わない年齢になり 買い求めることはしなくなったが、私は原宿に行く度に店内を覗き享しみ、我が青春の懐かしさをいっぱいに吸い込んでいた。

しかし----
2年ほど前、文化屋雑貨店は閉店してしまった。
もはや、チープでキッチュでどこかレトロなあの店内は、私の頭蓋の中だけの存在となってしまった。


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ポンパドールのモロカンミントティー [独り言]

夕方以降カフェインを摂ると 夜 眠れなくなるので、私は毎晩 自室でハーブティーを愛飲している。
ポンパドールというブランドのティーバッグの ペパーミントティーである。

先日 キッチンの棚からその買い置きがわずかとなったので、又 新たに求めに 最寄の駅前まで出た。
ふと気まぐれに、いつものスーパーではなく、古くから在る 舶来の酒や乾物や菓子を扱う個人商店に入ってみた。 もしもなかったら いつものスーパーに足を戻せばよいのだし と思いつつ。
----あった。
と、ペパーミントティーを手に取ろうとすると、隣にモロカンミントティーなるものがある。
モロカンミントティー、つまり、モロッコミントティーである。
これはいつものスーパーにはなく、私は初めて目にする種類だった。
原材料は、ペパーミントとスペアミントとある。
今まで飲んでいたものにスペアミントが加わっただけだから そう大きな違いはないだろうと、迷わずカゴに入れた。

果たして----
モロカンミントティーは、想像を激しく裏切る美味しさであった。
ペパーミントが単純で鋭角的な味と香りなら、モロカンのそれは重厚的でまろやかなのである。
スペアミントがブレンドされるだけでこれほど変わるものなのか! と思った。
あるいは、乾燥のさせ方に何か違いがあるのだろうか?

今までのペパーミントティーにも充分に満足はしていたが、私はすっかり モロカンミントティーの虜になってしまった。
夜の独りのいこいのひとときが、重厚でまろやかなものと成った。

モロカンミントティー.JPG

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自分の価値基準で他人の気持ちを決める人 [独り言]

私の父は愛人さんを幾人も囲っていたので、本宅である私の住む家に帰るのは、多くて週に一度 少ない時だと三カ月に一度くらいだったのだが、何かちょっとしたきっかけでそれを人に話すと こう返してくる人がいる。
「寂しくなかったですか?」
そして、その口調と表情には必ず、「寂しかったですよね! 寂しくない筈なかったですよね! 可哀想に!」といった感情が乗せられているのだ。
私はその度に穏やかに、「いいえ、寂しくなかったですよ」と笑顔を作り、心の中では、「はあっ!?寂しくなかった?って何それ? ちーーっとも寂しくなんかなかったよ。 私にとっては当たり前の父子関係だよ。 何が幸せで何が不幸せなんて人それぞれじゃん。 この人、いったい何言ってるんだろう?」と、強い憤りを覚えるのだった。

つまりその人は、父親が毎日帰ってくる家庭こそがまっとうであり、それ以外は歪んだ不幸な家庭だとかたくなに信じ込んでいるのである。
中学生くらいの年齢の子供の会話ならまだしかたがないとも思うが、いい大人になって ここまで自己中心的な狭い思考しか持ち合わせていないというのは、この人はいったいこの年齢まで 何を見聴きし何を学んできたのだろう?と首を真横に傾げたくなる。

もしもこういう人が、「お父さんが別宅の一つも持てなかったなんて 情けなくなかったですか?」と、「情けなく思ってるに違いないですよね!可哀想に!」 という感情を込めて問われたら、どう感じますか?と思う。
父子.jpg

タグ:家庭 価値観
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初めての給食 [独り言]

みなさんは、生まれて初めての給食を憶えておられるだろうか?
私は記憶している。
私が初めて口にした給食は、コンキリエ入りフルーツポンチである。
殆どの日本人が、その巻貝の形をしたパスタをコンキリエという名称であることを・・・・・否、パスタという語すら知らなかった1968年に、私が通っていた小学校では 給食に登場したのである。

給食1.jpg----私が通っていた小学校は、福岡県春日郡(現・春日市)という所に在った。
その町は、米軍の基地のある町だったのである。
米軍の基地のある町は、欧米の物資がまわって来やすいのみならず、財政が非常に潤沢で、殊 教育方面にはまっ先に予算があてられるのである。
したがって給食は、初日だけでなく後も次々と美味しいものが小さな机に並び、大人達の話によると、給食費は全額 米軍持ちだったという。
のみならず、どこぞの坊っちゃん嬢ちゃんかと見まごうような制服もあてがわれ、校舎は鉄筋 体育館はピカピカだった。

給食.jpgそして私は、小学三年になろうという年に、父の仕事の都合で、東京郊外の国立市という文教地区に越して来た。
文教地区だから、税金を大きく落してくれる企業や団体がなく、財政に乏しかった。
したがって、学校舎は木造のオンボロ 制服支給もなく、給食も、本来なら捨ててしまうべきキャベツの芯の入ったカレーシチューや 硬くて噛めない鯨の竜田揚げなど うんざりするほど不味かった。
私は子供心に、今度は米軍の恩恵を受けていない 決して豊かではない町の学校なのだと頭では判っていても、その落差が惨めで情けなくてたまらなかった。

時代がくだり、ちょっと高級なスーパーや小洒落たレストランに行くと コンキリエと出逢うようになった。
コンキリエに出逢うと、私の頭蓋には、初めての給食と給食にまつわるこの一連が 紗のかかった静止画の連続となって立ち現れるのである。 正から負への感情をともなって。

 
タグ:給食 基地
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チェコアニメ特集近日上映!@アップリンクファクトリー [独り言]

私は、通常の叙述形式の劇映画も決して嫌いではないが、そればかりを立て続けに三本観ると、精神的にぐったりとキツくなってしまう。
肉肉肉!と同じものばかりを三日も続けて食べるようなものだからだ。
通常の劇映画とアート・実験系を交互に観るのが、自分にとって健康的な観方である。
しかし、世の中には何故だか、通常の叙述形式の劇映画の数が圧倒的に多く、アート・実験系は極端に少ない。
だから私は、あまり映画の数を観ない結果となる。
尤も、昨年のように、松本俊夫大特集や東ドイツアートアニメーション特集などが開催され、鑑賞作品数の比較的多くなるラッキーな年もあるが。

そんな幸運は二年連続あるはずはないので、今年は殆んど映画を観ない年になるだろう と予測していたが、先日、嬉しいニュースを知った。
渋谷のアップリンクファクトリーにて、チェコアニメーション特集が開催されるというのだ!
ヤン・シュヴァンクマイエル イージー・トルンカ ブジェチスラフ・ポヤル 他、チェコを代表するアニメーターの往年の代表作の数々が、3月18日から31日まで日替わりで レイトで公開されるのだ。
全作品は観に行けないかもしれないが、可能なかぎり足を運んで来ようと思う。

これで、振り子が反対側にも振れるエネルギーがついたように、同数の通常の劇映画も観に行ける というものだ。

チェコアニメーション.JPG

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第5回ぼんぼちオフ会を了えて [独り言]

3月4日(土)高円寺ヤミーにて、第5回ぼんぼちオフ会が無事終了いたしやした。
当日はお天気にも恵まれ、幸運の中にスタートすることができやした。
ご参加くださった 青山実花さん kinkinさん きよたんさん さる1号さん kick_drive さん kotenさん Rchoose19さん るねさん 馬爺さん Gingerさん えーちゃんさん ponnta1351さん green_blue_sky さん sakamonoさん にゃごにゃごさん lequicheさん よーちゃんさん rannyanさん Flatfieldさん ありがとうございやした。
みなさんのお陰で、大盛会と成りやした。

ぼんぼち4.JPG差し入れを贈ってくださったかたもおられやした。
hirometai さん、豪華なカトレアのアレンジメントと和菓子、ありがとうございやした。
会場がぐっと華やぎ、みなさんへのよいお土産もできやした。
saruさん、びわたねGINと梅干し、ありがとうございやした。
びわたね、今年も香りのよい仕上がりでやすね。
梅干し、甘くて柔らかくて 最高の肴となりやした。

ぼんぼち5.JPGまた、ご参加くださったかたの中にも 差し入れをくださったかたおられやした。
rannyanさん、ピンクのバラとスイトピー、ありがとうございやした。
テーブル上がとても華やぎやした。
今、あっしの部屋で、いい香りを放ってやす。
青山実花さん、ポピー、ありがとうございやした。
会場が、そしてあっしの部屋が、ぱっと明るくなりやした。
kick_drive さん、ハワイアンズのお菓子 たくさんありがとうございやした。
お菓子と同じ絵のTシャツもとても似合っておられやしたよ。
るねさん、チョコレートケーキ ありがとうございやした。
ぼんぼち2.JPGデザートとしてラストに お店のかたが冷して切り分けて供してくださいやした。
品のいいお味のケーキでやした。
にゃごにゃごさん、手造りのポテトサラダ、ありがとうございやした。
柔らかな優しいお味でやした。
にゃごにゃごさんはつくづく料理 お上手でやすね!
えーちゃんさん、チョコレートやきそばとカップヌードル抹茶味とカップヌードルふかひれ味とひなあられ ありがとうございやした。
チョコレートやきそばは、「これはないよなぁ」っていう意見多かったでやすね。
抹茶味とふかひれ味は、ふつーに美味しかったでやすね。

そして、出し物を演ってくださったかたも!
kotenさん 久しぶりに純正律ギターをお聴かせくださりありがとうございやした。
静かな気持ちになりやした。
Flatfieldさん、ギター演奏ありがとうございやした。
ぼんぼち6.JPG音楽に対する思いの深さが伝わってきやした。
遠路はるばるお疲れ様でやした。
よーちゃんさん、今回は小咄でやしたね。
「ううむ、なるほど!」と頷いたり「あっ!そうか!」と膝を打つことしきりでやした。
これから相撲を観る時、頭の中で変換してしまいそうでやす。

みなさんのお陰で楽しくて 夢のように時間があっという間に過ぎていってしまいやした。
こうしてブログを通じて、普通なら出逢うことのないかたがたとお話ができて、これもご縁というものだなぁとひしと感じてやす。
ぼんぼち、人生のとてもよい記念と成りやした。
みなさん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。

ぼんぼち1.JPG

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人を信用することについての常識 [独り言]

もう二十年以上も前のことであるが----
ちょっとした接点があり、レストラン喫茶を経営するという女性と話をする機会があった。
彼女は、一目でお嬢様育ちと判る 四十代の品のいいかただった。
他愛のない世間話から互いの仕事の話・・・・・話好きのかたらしく、次から次へと話題は展開した。
するうち彼女は、店舗経営についてある悩みがあるので聞いてほしいと 姿勢を低く構え前のめりになり、これまでとは違うトーンで 以下の内容のことを発した。
レストラン喫茶1.jpg

「私は、アルバイトの人を入れると 初日からレジのお金や店の鍵を預けているのですが、 今までに 売上金を持ってゆかれてドロンされたり 正社員として雇っている店長の財布が盗まれてしまったことが四回もあります。 困っています。どうしたらいいでしょう?」----と。
私は呆れつつ、「そりゃあ、入った初日のバイトに売上金や鍵は預けないほうがいいでしょぅ!」
髪入れずに声をあげた。
すると彼女は、「いいえっ! 私はアルバイトに 初日から売上金や鍵を預け続けますっ!」
キッパリキリリと言いさえぎった。
まるで、「私は正義を貫きますっ! 間違った考えには決してなびきませんっ!」 と、自分の正しさを主張しているような言い方と表情だった。
それは違うのになぁと 内心首を傾げずにはおれなかったが、彼女がそこまで貫きたい行いなら貫けばいいと思った。
同時に、これからどうするかも既に堅く決めているなら、聞いてほしいも何もないだろう、好きにすればいいじゃないか、とも。

私は勿論、アルバイトという立場の者が皆 信用ならぬと言っているのではない。
バイトであろうと正社員であろうと幹部であろうと、悪事を働く人間は働く。
どういった立場の者であれ、世の中には まっとうな人間と隙あらばと悪さをする者とがいるのである。
それを見極める大きな基準の一つに 「時間」というものがあると思うのだ。
見抜けずに悲惨な結果を招いてしまう例も一部にはあるが、大抵は、ある程度の時を共にしていると おのずとそれは見えてくる。
職場に限らず、人間が信頼関係を築いてゆくには 「時間」が必要なのだ。
これは、大人として生きてゆく上での常識だと 私は考えている。

レストラン喫茶オーナーの彼女は、いったい何故ゆえに 四度も被害に合っていながら そこまでかたくなに自分の意思を貫きたいのだろう。
小学校の道徳の授業で学んだことをまるまる信じた優等生がそのまま大人になった人なのか、尊敬する両親に、「人を疑ってはいけません」と厳しく躾けられ その教えを守り続けているのか、私には知る由もなかったが。

彼女は今、どうしているのだろう?
手を変え品を変え新手の詐欺事件が後を絶たない現在、酷い犯罪に巻き込まれていなければいいが・・・・・・・。
レストラン喫茶2.jpg

※3月4日のオフ会、今回も点取り占いの壺をおまわしするので、今年の運を占ってくださいねでやす!
タグ:信用 常識
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ピアスホールを開けた理由 [独り言]

私は、計八個のピアスホールを開けている。
左の耳たぶに三個、右の耳たぶに三個と上方の軟骨部分に一個、左小鼻の上の部分に一個 である。
十八才の時、三十五才の時、四十才の時と おいおいに開けてきた。

何故ピアスホールを開けたのか----
勿論、ピアスは見た目がお洒落だという単純な理由もある。
けれど、最も大きな理由は----
自分の欠落感を埋めるためだったのである。
私にとって、ピアスホールを開けていない自分は「素の自分」ではなく「欠落した自分」であり、今のように開けた自分が「素の自分」なのである。
何年にも渡り逡巡しながら「まだ違う」「まだ違う」とホールを足し続け 現状態になった時、「これでやっと素の自分になれた」と思った。
だから、ピアスと皮膚の接点に触れ 金属と肉体の一体感を確認していると、「ピアスを含めた私が私なのだ」と 非常に落ち着き安堵感に浸ることができる。

塚本晋也の初期作品に「東京フィスト」という長編劇映画がある。
その中で、精神的に今までの自分ではいられなくなったヒロインがざくざくとピアスを開ける件りがあるのだが、私にはあのヒロインの感情が痛いほど理解できる。

ピアス.JPG

※3月4日のオフ会、まだまだご参加受け付けてやすよん!
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