So-net無料ブログ作成
検索選択

演劇部の思い出 [独り言]

演劇部2.JPG
中学高校と、演劇部に在籍していた。
中高一貫教育の学校だったので、部も中学高校一緒に活動するのだった。
ほんとうは、映画部に入りたかった。
しかし私の学校には映画部はなかったから 仕方なく演劇部を選んだ。
将来は舞台衣裳を作る仕事がしたいと熱望していた私は、演劇部で衣裳係をやらせてもらおうと考えたのだ。

けれど入部してみると----
日頃の活動は全員役者の基礎レッスンに励み、年二回の学内公演に向けては、部内オーディションを行い、好むと好まざるとに関わらず、選ばれた者はキャストをやり 選ばれなかった者はスタッフにまわされるのだった。
が、衣裳に限っては、キャストが自分自分で作るならいとなっていた。
コーチはいなく、全て、先輩が後輩を指導するという形をとっていた。

私は役者には興味はなかったので、日頃の基礎レッスンは嫌々やっていた。
のみならず、先輩の示す「これが正しい演劇」という指導方針は、「まるで間違っているのではないだろうか? どう考えても納得できない」と ひどく疑問を覚えずにはおれないものだった。
公演に向けては、キャストに選ばれなかったら 本意でない装置や照明や音響を担当しなければならなかったし、選ばれて自分の衣裳は作れたとしても、他のキャストとの調和を図りながらデザインするという 演劇の衣裳に於いて非常に重要なことには踏み込めないしくみとなっていた。
稽古での先輩の演出も、首を真横に傾げたくなるほどに疑問を感ずることだらけだった。
演目も、生意気に 三島由紀夫や安部公房など 中高生にはおよそ解釈不可能な難解なものばかりを選んでいた。
演劇部.JPG

ある日の部内会議の時、私が「コーチを呼んで、コーチの指導のもとに活動したいです」と提案すると、先輩達はいっせいに、「私達がちゃんと指導してあげてるじゃない! 私達の指導に文句があるの?!」と まるでとっぴょうしもない悪案を提示した者のように責められた。
そういう先輩達は、誰一人としてスタニスラフスキーのスの字も知らないのだった。
また別の日の会議の時、「学内公演を部外の生徒達が殆ど観ようとしない。 観るようにするためにはどうしたらよいか?」という課題が持ちあがった。
私が「難しい作家の戯曲ではなく、自分達の等身大の 中高生が登場人物の解かり易い創作物を演ったらよいと思います」と発言すると、「そんなのダメよ! 演劇部なんだから三島や安部を演らなくちゃダメよ!」と 意味不明の理由で却下され、その後もそれらを演り続け、生徒の殆どは観ない という状況は続いた。
自分達が理解できないものを理解できないままに演っているのだから、観たくなるものに仕上がる筈はないのだった。

部員の殆どは「私達はエンゲキをやっているのだ!」と血気盛んだったが、私には、まったく無意義の学芸会サークルだった。

だが私は、こんな演劇部に入ったことを 少しも後悔はしていない。
何故ならあの時 幾多の大きな疑問を感じたがために、「いつかこれらの疑問を解決しなければ気がすまぬ」という欲求が膨らみに膨らみ、時間に余裕のできた30代半ばから40代半ばにかけて 徹底的に勉強することとなったからである。
演劇理論 演技論 演技の実践 演劇史・・・・・むさぼる様に学んだ。
あの演劇部に入っていなければ、私は後年 これほど熱心に演劇を勉強しようとは思わなかった と言い切れる。
演劇部3.JPG

タグ:演劇 演劇部
nice!(346)  コメント(40)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画