So-net無料ブログ作成
検索選択

画家をやっていて辛かったこと [独り言]

私は家庭のしがらみのために 18歳から20代半ばまで、画家をやって母親を養っていました。
画家をやっていたその時代は、私の人生で最も辛い時代でした。
今日は、画家をやっていて辛かったことを 具体的に吐露しようと思います。

先ず、私はまったく画家になどなりたくはありませんでした。
中高と美術学校に通っていた私は、高校を卒業したらファッションの専門学校に入り 卒業後は舞台衣裳を作る仕事をしたいと熱望していました。
しかし、美術の成績が良かった私を、母は「これは金になる」ともくろんだようで、又 教師もファッションではなく絵画に進みなさいと推し、私の志望進路は閉ざされてしまいました。
母親の「おめー、高校出てすぐにファッションでアタシを養えるのかーーっ!? 18過ぎたら子供が親を養うのは当たり前の常識だろーがっ!」という言葉に、母親への恐怖心が染みついていた私は逆らえませんでした。
母親のいう「親を養う金額」というのは、月額100万円でした。
生活にそれだけ必要なわけではなく、贅沢のためです。
母親に言わせると、子供が親に月100万渡して左団扇させるのは、当たり前の常識ということでした。
画家.jpg

私は高校を出るとすぐに画商と契約を結び、毎日毎日眠る時間も食べる時間も削って画業に専念し 金を稼ぎ、その大半を母親に渡しました。
睡眠時間は毎日3時間で徹夜もしばしば、食事はパンか玉子かけご飯を5分でかきこむ生活でした。
白っぽいバックに赤や黄の花やフルーツのモチーフの具象画が売れるというので、そういった作品ばかりを描きました。
しかし、私はそういった画風・モチーフは、ヘドが出るほど嫌いでした。
ヘドが出るほど嫌いな方向性の作品を来る日も来る日も描かねばならないことは、大きなストレスでした。
そしてさらに、個展で客と話をする時には 笑顔でこう言わなければなりませんでした。
「私が表現したいものを解かっていただけて嬉しいです」 「私が好きで描いた作品を買っていただけるなんて光栄です」 と。

そうやってつきたくもない嘘をつかねばならないことも 非常に大きなストレスでした。
けれど、私にはそれらのストレスを発散させられる場所はどこにもなく 聞いてくれる人も誰もいませんでした。
眠る時間も食べる時間もなく次から次へと入る注文をこなさなければならなく 収入の大半を母親に渡していたので、ウサばらしに遊びに行ける時間やお金はみぢんもありませんでしたし、友達をつくる場も時間もありませんでした。
高校時代の友人に逢う余裕もまったくありませんでした。
稀に寸暇を見つけて電話をしても、「画家になったアナタはもぅ私達とは別世界の住人だから」と 敬遠されてしまいました。
私は、一人ぼっちで たまる一方ではけ口のないストレスに押しつぶされそうでした。

画家.jpg

一年過ぎると、体重は14キロ減り 身体のあちこちに不調が現れました。
「この生活は大変すぎて もうこれ以上は続けられない」と母親に訴えましたが、母親は聞く耳を持ちませんでした。
どころか渡す金額が月100万に達していなかったので、「この甘チャンの根性なしがーーーっっっ!!」と 私をののしるばかりでした。

20代半ばになった時----
母は、私からの金など一銭も受け取らなくても充分に贅沢出来る金を 離婚した父から貰っていることを知りました。
私は自分のやっていることが余りにも馬鹿馬鹿しいと判り、これからは断固として母親を恐れずに、母親からどれほど攻撃を受けようが、自分の稼いだ金は自分で使おうと決意しました。
そして、画業は画商との契約があるのですぐに辞めることは出来ないけれど、じょじょに減らして そのうち完全に辞め、ファッションの道に進むことこそは叶わなかったけれど、可能な範囲で好きなことをして暮らしてゆこうと思いました。

18歳から20代半ばが青春時代だとしたら、私の青春時代は地獄一色でした。

画家.jpg

タグ:画家 辛い
nice!(342)  コメント(60)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画