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イラッとする要因 [独り言]

私はしばしば人に「イラッとすることなんてないでしょう?」と言われる。
とんでもない。 しょっちゅうイライラしている。

私がイラッとするのは、理論的思考の出来ない人と話をしたときである。
具体的に一例挙げると----
「アナタが観たその映画のテーマは何でしたか?」という質問に対して 主観的感想を答えるような人である。
そういう人と話をしていると 何から何までトンチンカンな返答でイライラさせられっぱなしになるので、「あぁ、この人とは距離をおいてそれなりのお付き合いにとどめさせていただこう」と思い、相手が距離をおくような言動に出る。

よく、自分がイラッとしたときに相手はイラッとしていないから「この人は自分よりも総じて穏やかな人だ」と判断する人がいるが、それはそうとは限らない。
何にイラッとするか-----バスや電車を長時間待つことにイラッとする人 刺繍や折り紙のような細かな手作業にイラッとする人 早口でしゃべる人にイラッとする人 声の小さい人にイラッとする人、そして私のように非理論的な人にイラッとする人、様々である。

要は、イラッとする要因が、人それぞれ違うのである。

イラッ.jpg

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フタ付き瓶 [写真]

写真・蓋つき瓶.JPG

たくさんのフタ付き瓶。 pc上で白黒加工しやした。
特別個性的な写真ではありやせんが、作品として成立したので公開することにしやす。
撮ろうという段階で これは白黒加工が合うぞ!と思いやした。

元は、黒いフタのが赤 黒と白のチェックのが赤と白のチェックでやした。
赤色というのは、彩度は高いけれど明度はうんと低いでやす。
なので赤を白黒加工すると黒に出やす。
だから昔の白黒映画では、血のりは墨を使っていたんでやすよね。

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腹式呼吸とは [独り言]

腹式呼吸2.jpg

「以前、演技のレッスンを受けていたことがある」と人に話すと、「じゃあ、腹式呼吸ってのをやってたんだね。 腹式呼吸ってどういうのなの?」と しばしば聞かれます。
今日は、腹式呼吸というものがどういうものかを 簡単に説明したいと思います。

よく「お腹に空気が入るの?」と言う人がいますが、空気は胃や腸には入りません。 肺にしか入りません。
ではどうして 腹式呼吸と呼ばれ、そしてどうして 腹式呼吸をすると下っ腹が出たりひっこんだりするのかというと----
私達は、日常 しゃべっている時、たいていの人は肺の上のほうの三分の二くらいだけを使っています。 下三分の一は殆ど使っていません。
その使っていない下三分の一もフルに使うことによって 大きく長く響かせる声を出そうというのが、腹式呼吸とその目的なのです。
下三分の一を使うにはどうすればいいかというと----
胸部が動かないように(特に肩が上がらないように)気をつけ、息を吸いながら下っ腹をぐーーーっと前に出します。 そしてまた、吐くときは下っ腹をひっこめます。
こうすると 息を吸った時に横隔膜が下がり、したがって肺が縦にふくらみ、肺の下三分の一にも空気が入るのです。
これが腹式呼吸のしくみです。

私達は誰でも、横になっているときは無意識的に腹式呼吸をしています。
ですから腹式呼吸の訓練をするには、先ず仰向けに寝た状態で前述の方法をやってみるとすぐに出来ます。
その後、立っての訓練に入るのです。
足を肩幅に開き立ち、喉に力を入れずに楽な状態にして「アーーー」と声を出しながら行います。
この時、下っ腹がちゃんと出たりひっこんだりしているか、お腹に手をあててやってみると解かりやすいでしょう。
誰でも、毎日何カ月か訓練を続けると、必ずできるようになります。

腹式呼吸ができると、カラオケを歌うときや広いスペースでのスピーチ等にとても役立ちますので、皆さんも覚えてみられてはいかがでしょうか?

腹式呼吸.jpg

タグ:腹式呼吸
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ロックバーのドア [写真]

写真・ロックバーのドア.JPG

新宿ゴールデン街の ロックバーと思われる店のドア。
元はピンクと黄色だったのが、ネガ加工したらなんだか自分好みの色合いになってくれたので、作品としてアップすることにしやす。

このドアはご覧の通り、セックスピストルズでやすね。
みなさん、パンクロックはお好きでやすか?
あっしは音楽としてのパンクは別段好きではないでやすが、パンクファッションは好きでやす。
さすがにバリバリパンクはしやせんが、ちょいパンク入った感じはよく着てやす。
先日も古着屋で、セックスピストルズのありきたりじゃないTシャツ(オレンジ色のプリントの)を見つけたので 買っちまいやした。
この夏はこれを、エスニックのスカートと合わせて 自分流に着たおす予定でやす。

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55才の誕生日を迎えて [独り言]

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私ぼんぼち、2017年6月16日の今日、55才の誕生日を迎えました。
私を身体的および精神的に虐待していた母親が突然の病で死んだのが 私が27才の時でしたから、私はまるまる母親が生きていた人生と同じだけの長さの母親が死んでからの人生を生きたことになります。
これは私にとって 勝利感でいっぱいの快挙の気持ち溢るることです。

母が死んで生まれて初めて「ののしられない毎日」「否定されない人格」「完全な自由」を手に入れた私は、以降 好きなことをやってやってやりまくってきました。
充分に睡眠をとること ゆっくり好きな食べ物を食べることから始まり、おしゃれを楽しむこと 喫茶店でくつろぐこと 好きな街をのんびり歩くこと ショットバーでカクテルをかたむけること カクテルラウンジでアルバイトすること 映画と演劇の勉強をすること 恋愛をすること 結婚をすること 嫌になったら別れること 美容にエネルギーをつぎこむこと、そして こうしてブログを通じて言いたいことを吐露すること・・・・・
時として悲しい感情におちいる結果を招くこともありましたが、自分の意志で決めてやらずにはおられなかったことなので 全く後悔はしていません。
それも含めて27才以降は、最高に幸せな人生と成りました。

私はもぅやりたいことをやり尽くしました。
母親が生きていた頃ややりたいことを満喫途中だった頃は、「今、事故や病気で死んだら 私の人生なんだったんだ?ということになる。自分の人生を生き抜くまでは死んでなるものか!!」と強く思っていましたが、こうして好きなことをやり尽くした今は、死ぬことへの恐怖がなくなりました。
明日 死が訪れたとしても、私は笑顔で受け入れます。

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たくさんのガス焜炉 [写真]

写真・たくさんのガス台.jpg

たくさん並んだガス焜炉。
かっぱ橋道具街の店頭で撮りやした。
元は鈍い銀色だったんでやすが、形にぴったりの色合いはこうかな・・・と、pc上で茶系かけてみやした。

みなさんのお宅は、キッチンはガス台でやすか?それとも電磁調理器でやすか?
あっしんちは電磁でやす。
それが半年以上前に壊れて使えなくなってしまいやした。
以後、新しいもの買ってやせん。
だけど ちーーーーっとも困ってやせん。
何故ならぼんぼち、料理はなーーーーんにもやらないから。
お茶を入れるための(といってもティーバック)お湯を沸かすのは電子レンジでできやすし。
猫を飼ってた頃は猫と一緒に食事がしたくて多少の調理はしてたんでやすが、猫が老齢になり死んでからは作らなくなりやした。
理由は、作るのがめんどいからというのも多少はありやすが、一番の理由は外食が好きだから。
子供の頃から外食中心の生活で育ったので、外で食べることに非常に安らぎを覚えるのでやす。
今、家では、たまーーーーに菓子パンやスナック菓子を食べるくらいでやす。

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黄色い椅子 [写真]

写真・黄色い椅子.JPG

二つの黄色い椅子。
単純な作品でやすが、黄色の部分が鮮やかであることと構図がキマってくれたことがあっしなりに納得できたので 公開することにしやす。

ところでこの椅子、どこで撮ったものなのか まるっきり思い出せないのでやす。
4~5年前に撮ったことは覚えているんでやすが、それ以外の記憶がまるで無い。
土の上のようだから公園かな?とも思うのでやすが、公園にある椅子って地面に打ち付けられてやすよね。これは普通に移動可能なタイプに見える。
それなら飲食店のテラス席かな?とも思いやしたが、それだったら下はアスファルトか石畳の筈。
もともと記憶力が悪いのに最近、とみに悪化しているようでやす。
とほほ・・・・・・・。

タグ:画像 椅子
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あの世に持ってゆきたい音楽アルバム [独り言]

みなさんは、もしも あの世に一枚だけ音楽アルバムを持ってゆけるとしたら 何を持ってゆきますでしょうか?
あの世に行っても くり返しくり返し聴き享しみたいのは どのアルバムでしょうか?

私は、ミード・ルクス・ルイスの「バレル・ハウス・ピアノ」です。
1956年に録音されたブギウギピアノです。
ブギウギピアノは、元々非常にジャズ寄りのブルースではあるのですが、その中でも この「バレル・ハウス・ピアノ」は、よりジャズ色の強い仕上がりと成っています。
曲も、「12番街のラグ」や「セント・ルイス・ブルース」など、ジャズのスタンダードナンバーが何曲も盛り込まれています。
それを、ミード・ルクス・ルイス特有の トイピアノのようなペチャペチャした----クラシックピアノの先生が「最もよろしくない例です!」と眉をひそめるであろう弾き方で、軽快なテムポに乗りながらもうるささを感じさせない 何遍耳に流し込んでも飽きのこない音で奏でられています。

昨夜も眠りにつく前に ベットに横になりながら一人リズムを刻みました。
私はあと何年生きる運命にあるのか解かりませんが、私が死んだ折りには このミード・ルクス・ルイスの「バレル・ハウス・ピアノ」を 棺の中に収めてほしいと思います。

ミードルクスルイス.JPG

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二色の鎖 [写真]

写真・二色の鎖.JPG


住宅街の道の脇で見つけた二色の鎖。
5対5の分量になるように撮り、pc上でネガ加工しやした。
元は、左の黒っぽい鎖がシルバーで、右の青いのは黄色でやした。
この作品をどう解釈するかは、観てくださるみなさん各々にゆだねやす。

鎖は惹かれるモチーフなので 道で見つけるとしばしば撮るのでやすが、金属製だとシルバー プラスチック製だと黄色か白でやすね。 その他の色にはまず遭遇しない。
必要性が求められないから様々な色が作られないのでやしょうが、写真を撮る立場の者にとっては、いろんな色の鎖があったほうが変化にとんだ作品が生み出せていいのになぁ、と勝手なことを思ったりしてやす。

タグ:画像
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画家をやっていて辛かったこと [独り言]

私は家庭のしがらみのために 18歳から20代半ばまで、画家をやって母親を養っていました。
画家をやっていたその時代は、私の人生で最も辛い時代でした。
今日は、画家をやっていて辛かったことを 具体的に吐露しようと思います。

先ず、私はまったく画家になどなりたくはありませんでした。
中高と美術学校に通っていた私は、高校を卒業したらファッションの専門学校に入り 卒業後は舞台衣裳を作る仕事をしたいと熱望していました。
しかし、美術の成績が良かった私を、母は「これは金になる」ともくろんだようで、又 教師もファッションではなく絵画に進みなさいと推し、私の志望進路は閉ざされてしまいました。
母親の「おめー、高校出てすぐにファッションでアタシを養えるのかーーっ!? 18過ぎたら子供が親を養うのは当たり前の常識だろーがっ!」という言葉に、母親への恐怖心が染みついていた私は逆らえませんでした。
母親のいう「親を養う金額」というのは、月額100万円でした。
生活にそれだけ必要なわけではなく、贅沢のためです。
母親に言わせると、子供が親に月100万渡して左団扇させるのは、当たり前の常識ということでした。
画家.jpg

私は高校を出るとすぐに画商と契約を結び、毎日毎日眠る時間も食べる時間も削って画業に専念し 金を稼ぎ、その大半を母親に渡しました。
睡眠時間は毎日3時間で徹夜もしばしば、食事はパンか玉子かけご飯を5分でかきこむ生活でした。
白っぽいバックに赤や黄の花やフルーツのモチーフの具象画が売れるというので、そういった作品ばかりを描きました。
しかし、私はそういった画風・モチーフは、ヘドが出るほど嫌いでした。
ヘドが出るほど嫌いな方向性の作品を来る日も来る日も描かねばならないことは、大きなストレスでした。
そしてさらに、個展で客と話をする時には 笑顔でこう言わなければなりませんでした。
「私が表現したいものを解かっていただけて嬉しいです」 「私が好きで描いた作品を買っていただけるなんて光栄です」 と。

そうやってつきたくもない嘘をつかねばならないことも 非常に大きなストレスでした。
けれど、私にはそれらのストレスを発散させられる場所はどこにもなく 聞いてくれる人も誰もいませんでした。
眠る時間も食べる時間もなく次から次へと入る注文をこなさなければならなく 収入の大半を母親に渡していたので、ウサばらしに遊びに行ける時間やお金はみぢんもありませんでしたし、友達をつくる場も時間もありませんでした。
高校時代の友人に逢う余裕もまったくありませんでした。
稀に寸暇を見つけて電話をしても、「画家になったアナタはもぅ私達とは別世界の住人だから」と 敬遠されてしまいました。
私は、一人ぼっちで たまる一方ではけ口のないストレスに押しつぶされそうでした。

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一年過ぎると、体重は14キロ減り 身体のあちこちに不調が現れました。
「この生活は大変すぎて もうこれ以上は続けられない」と母親に訴えましたが、母親は聞く耳を持ちませんでした。
どころか渡す金額が月100万に達していなかったので、「この甘チャンの根性なしがーーーっっっ!!」と 私をののしるばかりでした。

20代半ばになった時----
母は、私からの金など一銭も受け取らなくても充分に贅沢出来る金を 離婚した父から貰っていることを知りました。
私は自分のやっていることが余りにも馬鹿馬鹿しいと判り、これからは断固として母親を恐れずに、母親からどれほど攻撃を受けようが、自分の稼いだ金は自分で使おうと決意しました。
そして、画業は画商との契約があるのですぐに辞めることは出来ないけれど、じょじょに減らして そのうち完全に辞め、ファッションの道に進むことこそは叶わなかったけれど、可能な範囲で好きなことをして暮らしてゆこうと思いました。

18歳から20代半ばが青春時代だとしたら、私の青春時代は地獄一色でした。

画家.jpg

タグ:画家 辛い
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